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一夜の恋。 5




  『当麻、好きよ…大好き』



(早いモンで、アレから6年。
一夜子が あの店を辞めて、すぐにアパートを訪ねたが、蛻の殻だった。
きっと、あの置手紙が全て何だろう。
何も言わずに去って行く事を決めていたンだ)

 前触れも無く…とは思いもしない。
今では、端から こうする心算であったのだろうと、そう思える一夜子の振る舞いが、そこ彼処に見える様だ。
そして 一夜子が辞めた事により、cafe free&highの無茶苦茶な混雑も
解消されたらしいが、当麻が足を運ぶ事は無い儘、時が過ぎている。

 当麻は駅前商店街にあるコーヒーショップで、自宅用のコーヒー豆を選ぶ。



 『じゃぁ、教えて上げるわ。
  コツを掴めばね、おウチでも美味しいコーヒーが飲めるんだから』



(一夜子の言葉を思い出しながら、テメェが飲む分くらいはテメェで入れられるようになった。
ただ、どうしても恋しい…一夜子のコーヒーが。
もう、大分 忘れちまったが…)

 味覚を忘れるには充分すぎる時間が経っている。
何処のコーヒーを飲んでも“違う”と感じるばかりで“コレだ”と言う味にも出会えない。当麻に残されるのは、記憶だけだ。


「会いたいな…」


 性懲りも無く そう思うのは、まだ一夜子に恋している証拠。

 コーヒーショップを出ると同時、目の前で小さな少女が躓いて転ぶ。

「オイオイ、大丈夫か?」

 慌てて起こしてやれば、少女の膝は擦り切れている。
ソレでも、頬を膨らませながら泣くのを堪える姿が賢明すぎて、当麻は不謹慎にも笑ってしまう。

(一夜子みたいだ)

「フッ、ハハッ、泣かない何て えらいな!」
「うん…」
「この辺は車も多いから、1人で歩いちゃ危ない。お父サンと お母サンは?」
「…」

 少女がブンブンと頭を振れば、2つに結わかれた髪がプロペラの様にバタバタと揺れる。どうやら、1人で出歩いている様だ。
年の頃は まだ5つだろう子供が、駅前を1人で歩くのは感心しない。
当麻は周囲を見回す。

「迷子か?お巡りサンとこ行くか。すぐ側だから」
「ううん…コレから お母サンに会いに行くの」
「…そうか。場所は、分かってる?」
「ん。向こう。ずっと向こう」

 少女は横断歩道を渡った、ずっと先を指を指す。
然し、取りとめも無い。何処に向かいたいのか、サッパリ分からない。

「1人で行ける?」
「ん。ずっと前に車で行ったコトある」
「車…そこ、歩いて行けるのかぁ?」
「…でも、お母サン、待ってるから…」
「迎えに来て貰いなさい。お巡りサンに電話かけて貰ってぇ、」
「今日は、絶対に会いに行くって、約束してたから…」
「…」

 少女は頑なだ。
昼間とは言え、小さな子供が1人でフラフラと、何処だかも分からない場所に向かわせる訳には行かない。

更新日:2012-11-20 12:15:57

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