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挿絵 500*500

※挿絵 秋月つかさ様
 

 どうしてだ。

 目の前に、斧を持ち、自らの腕を切り落とした姿が映る。

「あー…早かったのな。帰ってくる前に片付けようと思ってたんだけど、勝手に借りて、わりい」

 どうして、こんなものを目にしなくてはならない。

 美しかった腕は、手は、血にまみれ、光を失っていた。

 多量の血を流し、貧血で倒れそうになる体を、急いで駆け寄り支える。
 ソファの足に背をもたれさせ、作業机から包帯を探し出す。
 血の気などとうに引いた手で、止血しようとして、気付く。

「そのまま、使ったか」

 頷く悪夢に眩みながら、包帯を置いて、床に転がった斧を持ち直し、炉につっこむ。

「焼いてからでないと、どの道、腕が腐る。来い」

 残った方の腕を半ば乱暴に引き、引きずるように作業台に肘から上を乗せ、動かないように固定する。
 
 痛みと出血で朦朧としているのか、緩慢に頷く相手の傷口を見る。
 無理矢理切ったせいで、切り直すのは難しかった。が、やれない事はない。

 こんな事をする為に、俺は今日まで技術を高めてきた訳ではないのに。

 振り下ろす。迷いなく。力の限りを込めて、一度で骨を絶てるように。
 それでも響く絶叫と、見開かれる瞳。

 ソファへ横たえさせ、切り直した腕に包帯を巻いてやる。血が止まり、数分気を失っていた相手が目を覚まして、俺に言う。

「なあ、マラーク、俺、もう、バイオリン、作れなくなっちまった」

 笑いながら、だが、後から後から、涙を零しながら。

「あの時お前に助けてもらって、親父にあんなに大事に教えてもらったのに」

 堪えていた悔しさが、嗚咽と共に吐き出される。
 背をさする事しか、俺は出来ないのかと、触れようとした、その時。

「壊れても、あいつに、もう、新しいバイオリンを作ってやる事が出来ない」

 冷えきった体が、一瞬で燃えたように熱くなったのが解った。
 解ったのはそれだけで、下に敷いた相手が、咳込み、必死に、やめてくれ、と声を揚げるまで、俺は、ムスタディオの首を絞めている事に気付かなかった。

 気付いてからも、俺は手を放す事が出来なかった。気付く前よりなお、力を込めていた。

 どうしてこんな事になる!
 俺はお前の腕を切り落とす為に、必死で働いてきた訳じゃない!
 お前に、あの時の朝日のように笑っていて欲しかったから、お前の手を、指を守りたかったから、必死で演奏家達の魔窟に通っていたのに。
 お前をこういう目に遭わせたくなかったから、あいつらに必死で食らいついていたのに。
 誰があんな奴らの為に、調度品を作ってやりたいものか!幾ら金を積まれたって反吐が出る!
 けど、それでも構わなかった。どんなに反吐が出そうでも、作ったものを憎んでしまおうとも、お前がいつでも笑っていられるなら。
 すげえもんが出来たって、そう言って、幸せそうに笑っていられるなら、俺は…。

 ごめん、マラーク。

 そう唇が動き、さっきまでとは違った涙を零したのを見て、俺はようやく、心の中で言っていたのではなく、口に出して叫んでいたのだと気付いた。
 残る左手が、俺の頬を撫で、流れる水滴を拭いた。
 ああ、俺は、泣いていたのか。

「でも、俺、聴きたいんだ。どうしても。あいつの弾く音を。馬鹿だよな、俺」

 掠れた声で、必死に言うのに、俺は、ようやく手を放した。

「お前は、馬鹿だ」

 顔をそむけ、必死に抑えたが、堪えきれずに嗚咽が一つ零れた。

「うん。だけど、お前も馬鹿だ」

 身を起こし、そむけた顔にくちづけをされた。

 これまで過ごしたささやかに幸せな日々を壊すように、もしくは、永遠に閉じ込めるように。
 ひどく長く。だが、過ごした日々からするならば、ひどく短い間。

 抱き合ったのは、これが最初で最後だった。

更新日:2012-08-03 01:36:58

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