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■五日前
それから二日ほどは、何事もなく過ぎた。
穂乃香が心配そうな視線を向けてくる。
「みえちゃん、顔色悪いよ? 大丈夫?」
「あ、うん。ちょっと寝不足なだけ。大丈夫大丈夫」
慌てて笑顔を作ったが、友人の表情からは曇りがとれない。
お見舞に来ているのに、反対に心配をかけているようでは駄目だ。
そう思ってはいるのだが、美恵子の座る椅子の左側の窓にかかる、白いカーテンがどうしても怖い。
早く帰って休んだ方がいい、という穂乃香の気遣いに甘え、美恵子はその日は早めに病室を出た。
しかしすぐに帰宅する気にもなれず、人気の少ないロビーの椅子に腰を下ろす。
夕方ということもあり、周囲の椅子に座っている人は殆どいない。遠慮なく、深く、長く溜め息をついた。
あの夜以来、視界に何か白い物が映ったり、急に何かが動いたりすると、反射的な恐怖を覚えるようになってきていた。
四六時中びくびくし、眠りも浅くなり、奇妙な夢を見て夜中に目が覚めることもある。
……このままでは、気持ちが保たない。
「疲れてるみたいやな」
俯いた視界に、黒いスラックスと黒い靴が入ってくる。その僅かな不吉さにすら安堵して、ゆっくりと顔を上げた。
「西園寺、さん」
「目の下。隈、できてるで。若い女の子やのに」
「セクハラですね」
ぴしゃりと言って、背中を椅子にもたせかけた。やや上方を見上げられるだけでも、まだましか。
肩を竦め、男は美恵子の隣に腰掛けた。セクハラと言われたのを気にしたのか、間に一人分ぐらいの空間を空けている。
「西園寺さん。犯人は捕まえられるんですか?」
「全力は尽くしとる」
絞り出した声にさらりと告げられて、唇を噛んだ。
「いつになりますか」
「最善も尽くしとる」
「約束は」
「できん」
あっさりと認められて、膝の上で拳を握る。
「……私、今夜、またこの辺を歩いてみます。犯人が出てくるかもしれないし、そうしたら」
「あかん」
きっぱりと断じられて、鋭く顔を上げた。
「どうしてですか!」
首を曲げてこちらを見ていた西園寺と視線が合う。
「日本の警察は、囮捜査を認めてへん。ましてや未成年の女の子を囮に使うなんて以ての外や。そんなもん、検討することすらできん。……大丈夫や。ワシがちゃんと犯人を処分する」
「いつになるんですか。何年先ですか。私……、わたし」
怖いのだと。怖くて苦しくて辛くてふいに泣き出しそうになるのだと、そう訴えかけそうになって、息を吸いこんで言葉を塞いだ。
「……来週、大会があるんです。なのに、こんな状態じゃまともに部活もできません。今が大事なんです。ほのちゃんや聡美ちゃんの分も私が頑張らなくちゃいけないのに」
西園寺が小さく鼻を鳴らした。
「自分にできること以上を頑張ったって、何の意味もない。やらんでええことに首を突っこむんやない」
とりつく島のない返事に、反射的に立ち上がった。
「じゃあ、このままいつ解決するか判らないのを、ずっと待っていろって言うんですか?」
ざわり、と遠いところで空気がざわめいた。
西園寺は、真面目な顔で美恵子を見上げている。
「そうや」
簡潔に一言だけ告げられて、息を飲んだ。
「もう、いいです!」
叫ぶように言い放つと、踵を返した。小走りに出口へと向かう。人とぶつかりそうになったが、何とかすり抜ける。
西園寺の声が追ってきた気がしたが、それは静かに閉まっていく自動ドアに遮断された。
穂乃香が心配そうな視線を向けてくる。
「みえちゃん、顔色悪いよ? 大丈夫?」
「あ、うん。ちょっと寝不足なだけ。大丈夫大丈夫」
慌てて笑顔を作ったが、友人の表情からは曇りがとれない。
お見舞に来ているのに、反対に心配をかけているようでは駄目だ。
そう思ってはいるのだが、美恵子の座る椅子の左側の窓にかかる、白いカーテンがどうしても怖い。
早く帰って休んだ方がいい、という穂乃香の気遣いに甘え、美恵子はその日は早めに病室を出た。
しかしすぐに帰宅する気にもなれず、人気の少ないロビーの椅子に腰を下ろす。
夕方ということもあり、周囲の椅子に座っている人は殆どいない。遠慮なく、深く、長く溜め息をついた。
あの夜以来、視界に何か白い物が映ったり、急に何かが動いたりすると、反射的な恐怖を覚えるようになってきていた。
四六時中びくびくし、眠りも浅くなり、奇妙な夢を見て夜中に目が覚めることもある。
……このままでは、気持ちが保たない。
「疲れてるみたいやな」
俯いた視界に、黒いスラックスと黒い靴が入ってくる。その僅かな不吉さにすら安堵して、ゆっくりと顔を上げた。
「西園寺、さん」
「目の下。隈、できてるで。若い女の子やのに」
「セクハラですね」
ぴしゃりと言って、背中を椅子にもたせかけた。やや上方を見上げられるだけでも、まだましか。
肩を竦め、男は美恵子の隣に腰掛けた。セクハラと言われたのを気にしたのか、間に一人分ぐらいの空間を空けている。
「西園寺さん。犯人は捕まえられるんですか?」
「全力は尽くしとる」
絞り出した声にさらりと告げられて、唇を噛んだ。
「いつになりますか」
「最善も尽くしとる」
「約束は」
「できん」
あっさりと認められて、膝の上で拳を握る。
「……私、今夜、またこの辺を歩いてみます。犯人が出てくるかもしれないし、そうしたら」
「あかん」
きっぱりと断じられて、鋭く顔を上げた。
「どうしてですか!」
首を曲げてこちらを見ていた西園寺と視線が合う。
「日本の警察は、囮捜査を認めてへん。ましてや未成年の女の子を囮に使うなんて以ての外や。そんなもん、検討することすらできん。……大丈夫や。ワシがちゃんと犯人を処分する」
「いつになるんですか。何年先ですか。私……、わたし」
怖いのだと。怖くて苦しくて辛くてふいに泣き出しそうになるのだと、そう訴えかけそうになって、息を吸いこんで言葉を塞いだ。
「……来週、大会があるんです。なのに、こんな状態じゃまともに部活もできません。今が大事なんです。ほのちゃんや聡美ちゃんの分も私が頑張らなくちゃいけないのに」
西園寺が小さく鼻を鳴らした。
「自分にできること以上を頑張ったって、何の意味もない。やらんでええことに首を突っこむんやない」
とりつく島のない返事に、反射的に立ち上がった。
「じゃあ、このままいつ解決するか判らないのを、ずっと待っていろって言うんですか?」
ざわり、と遠いところで空気がざわめいた。
西園寺は、真面目な顔で美恵子を見上げている。
「そうや」
簡潔に一言だけ告げられて、息を飲んだ。
「もう、いいです!」
叫ぶように言い放つと、踵を返した。小走りに出口へと向かう。人とぶつかりそうになったが、何とかすり抜ける。
西園寺の声が追ってきた気がしたが、それは静かに閉まっていく自動ドアに遮断された。
更新日:2012-08-01 22:42:23