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第1章

第一章
  


 愛しい人が、微笑みながら、降り注ぐ光の中に薄れていく。

 あたしは彼がいなくなってしまわないように、懸命に手を握りしめる。

 しかしその感触もだんだん薄れ、握っていたはずの彼の手も見えなくなってしまった。

 彼のやさしい声だけがあたしの名前を呼ぶ。

 あたしは、消えてしまった彼の感触を必死で探し求めながら、彼の名前を叫んだ。


「ユーリ!」

 その途端、目がくらむほど色鮮やかな原色の渦に巻き込まれ、強烈な吐き気に襲われて、あたしは目を覚ました。



 げほっ、げほっ、と咳き込むと、ひんやりとした手が、あたしの額に触れた。その手の優しさが、先ほど見たものは夢だったのだという安堵感を与えてくれる。
 あたしはゆっくりと目を開けた。

 心配そうな顔をした彼があたしの髪を撫でている。

「ユーリ」

 部屋に差し込む暖かな太陽の光をはちみつ色の髪に絡ませた彼の姿が、あまりにも美しくて、思わず微笑んだ。

「サラ、竜舎には行くなって言ったはずだ」
 ユーリがため息をつきながらあたしの額に自分の額を乗せる。

――ああ、そうか、あたしはまた竜舎で倒れたんだ。

「だって……」

「だってじゃない。倒れるってわかってるんだから」

 ユーリが顔を上げて眉間にしわを寄せる。口答えを許さない威圧的な彼の態度に、あたしは口をとがらせた。


 あたしは、十七の誕生日を迎えてすぐ、竜と会話ができる能力に目覚めた。
 彼らは言葉を使わず、頭の中にイメージを送るという方法でコミュニケーションをとる。しかし、その人間とは違う感覚が生み出す映像の鮮やかさは、あたしの脳ではとても処理しきれず、ひどい吐き気と眩暈を引き起こすのだ。

 あたしが育てている赤ちゃん竜、ネフェルティティとの練習のおかげで、一対一の会話ならなんとか倒れずにできるようになった。
 しかし、たくさん竜のいるところには、まだ行くことができない。彼らは、あたしが近くによると、興奮して一斉に話しかけてくる。あたしの頭では受け取りきることができず、結局今回のように倒れる羽目になるのだ。

「ユーリは平気なのに、なんであたしはダメなんだろう」

 彼も同じ能力を持っている。彼の場合、竜だけでなく、ほとんどすべての動物のイメージを受け取ることができる。でも、彼は、あたしみたいに具合が悪くなることなんて決してない。

「あたりまえだろ、僕は少なくとも二千年は使いこなしてきたんだから」

――ずるい。あたしだって絶対にできるようになるもん。

 ユーリは困ったようにふっと笑い、あたしのふてくされた頬を指の後ろで撫でた。彼は、本当は人間の心は読めないのだが、竜の命を貰ったあたしの心だけは伝わるのだ。

「焦らないで、ゆっくりやろう、サラ。少しずつ、竜の数を増やして」

「だって、みんなに会えないの嫌なんだもん。演習場にも行けないのよ?ゆっくりなんて、そんなに待ってられないわ。大丈夫、倒れたって死ぬわけじゃないし」

 彼はピクリと眉をひそめ、、怒ったような顔であたしを見つめた。

 まっすぐに瞳を射抜かれ、思わず息を飲む。彼の瞳から目を離せないまま、軽い眩暈とともに心臓が暴れ出す。

「君は前に言ったろ? 竜より僕の方が大事だって。君が倒れているのを見つけるたびに、僕の心臓は止まりそうになる」

――大げさだよ、ユーリ。
 赤くなって綿紗の薄掛け布団を鼻の上まで引っ張り上げる。

「人にこれだけ心配させておいて、君は、そんな風に言うの?」

 確かに、さっきのあたしの言い方はちょっと自分勝手だった。倒れれば結局誰かに迷惑をかけるのだから。ことにユーリは、あたしに何かある度に死ぬほど心配するし。


更新日:2013-08-21 12:17:14

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