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section2
コンサートは、ウィーンからの楽団にふさわしく、モーツアルトやシューベルトといった、自国出身の音楽家を中心にプログラムが構成されていた。有名どころの割とメジャーな曲が多く、クラシックに疎い私でも、充分楽しめる内容だったことは唯一の救いである。
一曲目、二曲目と終わり、ホールと聞き手も音楽にもなじんできたとき、事件は起こった。
三曲目に入る為に、指揮者がタクトを振り下ろした瞬間、聞こえてきたのは心地の良い管弦楽器ではなく、耳をつんざく女性の悲鳴だったのだ。
「いや~!あっ、あっ・・・あな・・・」
悲鳴のする方を見ると、そこは米沢の席で、女性が座席から立ち上がって狼狽えている。
察するに米沢夫人であろう。
涼子と私は一瞬目を見合わせたが、次の瞬間にはその席に向かって飛び出していた。といっても涼子の方が半歩早かったのだが。
その場についた我々が目にしたのは、隣の席に倒れこんでいる米沢だった。
恨みがましそうにこちらを見てるかと思える目には、しかし、一切の生気はなく、身体は芯の部分を抜き取られた人形のように座席に沈みこんでいる。
涼子がかがんで米沢の頸動脈に手を当てていたがが、しばらくして首を横に振った。
私は即座に次の行動にでる必要を感じた。駆け寄ってきたフロア責任者らしい年輩の女性スタッフをつかまえて、なるべく小声で、だが緊迫した声で指示を出す。
「警察の者です。大至急ホールとエントランスの出入り口を封鎖してください。蜘蛛の子一匹逃がさないように。それと警察を呼んでください」
「は・・・はい!」
女性青くなって狼狽えていたが、無線のマイクで各所に連絡を取ってくれた。
救急車も呼ぶべきであろうが、もう米沢の死は確定している。涼子の見立ての結果を聞かなくても、現場で何回も死体を見てきているからわかる。米沢はもうこの世の人ではない。
病死の可能性もあるが、この状態では事件性の疑いは拭いきれない。手遅れかもしれないが、犯人逃走の可能性は阻止しておかなくてはいけないだろう。万が一犯人が逃走していたといしても、目撃者くらいは確保しておきたいものだ。
涼子の方を見ると、死体にあまり触れないようにしてはいるが、勝手に検分を始めたようである。
「泉田クン」
呼ばれたので側に寄ると、涼子が米沢の首を少しひねってある場所を私に見せてくれた。
「穴・・・ですか?」
涼子の指し示した場所は耳のすぐ後ろ、首というよりは少し上の部分で、そこに、1cmくらいの穴が2つあいていた。その周りには血がこびりついている。
「なんでしょうか?」
「なんなのかしらね。」
死に直結しているものだったら、周りに血があふれでてないと説明がつかない。
血の凝固は数分で始まるが、このくらい大きな穴になると、溢れてくる血の量の方が多い筈である。もともとあったものだとしても、周りの血の固まりが説明つかない。もっとも、死後ついた穴だとしたら出血はしないが。そういうことを差し引いたとしても、この穴は最近、しかもこの二〇分くらいでできたもののように思われた。
米沢だったものの首筋の穴を見ながら、考えこんでいると、中年の男性が神経質そうな声をだしながら近寄ってきた。
「な・・何なんですか!あなたたちは・・・これは一体?」
この会場の実質の責任者なのだろう。この事態に駆けつけてきたらしい。
たちあがって警察手帳を開いて見せる。
「警視庁刑事部警部補の泉田です。こちらは同じく刑事部の参事官。薬師寺警視。」
「警視・・・?女性・・・?参事官?」
狼狽えているのと、効き慣れない単語の連発で混乱しているらしい。
「えーと・・。とりあえず彼女は警察の偉い人です。殺人事件の可能性があります。もうすぐ警察が到着するので、それまでは現場保存の鉄則に従って、このままにしてください。お客さんやオーケストラの方々をはじめスタッフの方も、なるべく今の位置から離れないように。そう指示を出してください。」
私が、そう告げると責任者の男は青くなりながらも、パタパタと自分の仕事を行うために駆けていった。
先ほどの女性にしても、この責任者にしても、不測の事態だというのによくやっている方だと思う。威厳あるコンサートホールにするべく優秀な人材を配置したのであろう。
まさか初日から、しかもたった二〇分ほどで、栄光なる船出から、暗雲立ちこめる航海になろうなんて思いもしなかったであろうが。
一曲目、二曲目と終わり、ホールと聞き手も音楽にもなじんできたとき、事件は起こった。
三曲目に入る為に、指揮者がタクトを振り下ろした瞬間、聞こえてきたのは心地の良い管弦楽器ではなく、耳をつんざく女性の悲鳴だったのだ。
「いや~!あっ、あっ・・・あな・・・」
悲鳴のする方を見ると、そこは米沢の席で、女性が座席から立ち上がって狼狽えている。
察するに米沢夫人であろう。
涼子と私は一瞬目を見合わせたが、次の瞬間にはその席に向かって飛び出していた。といっても涼子の方が半歩早かったのだが。
その場についた我々が目にしたのは、隣の席に倒れこんでいる米沢だった。
恨みがましそうにこちらを見てるかと思える目には、しかし、一切の生気はなく、身体は芯の部分を抜き取られた人形のように座席に沈みこんでいる。
涼子がかがんで米沢の頸動脈に手を当てていたがが、しばらくして首を横に振った。
私は即座に次の行動にでる必要を感じた。駆け寄ってきたフロア責任者らしい年輩の女性スタッフをつかまえて、なるべく小声で、だが緊迫した声で指示を出す。
「警察の者です。大至急ホールとエントランスの出入り口を封鎖してください。蜘蛛の子一匹逃がさないように。それと警察を呼んでください」
「は・・・はい!」
女性青くなって狼狽えていたが、無線のマイクで各所に連絡を取ってくれた。
救急車も呼ぶべきであろうが、もう米沢の死は確定している。涼子の見立ての結果を聞かなくても、現場で何回も死体を見てきているからわかる。米沢はもうこの世の人ではない。
病死の可能性もあるが、この状態では事件性の疑いは拭いきれない。手遅れかもしれないが、犯人逃走の可能性は阻止しておかなくてはいけないだろう。万が一犯人が逃走していたといしても、目撃者くらいは確保しておきたいものだ。
涼子の方を見ると、死体にあまり触れないようにしてはいるが、勝手に検分を始めたようである。
「泉田クン」
呼ばれたので側に寄ると、涼子が米沢の首を少しひねってある場所を私に見せてくれた。
「穴・・・ですか?」
涼子の指し示した場所は耳のすぐ後ろ、首というよりは少し上の部分で、そこに、1cmくらいの穴が2つあいていた。その周りには血がこびりついている。
「なんでしょうか?」
「なんなのかしらね。」
死に直結しているものだったら、周りに血があふれでてないと説明がつかない。
血の凝固は数分で始まるが、このくらい大きな穴になると、溢れてくる血の量の方が多い筈である。もともとあったものだとしても、周りの血の固まりが説明つかない。もっとも、死後ついた穴だとしたら出血はしないが。そういうことを差し引いたとしても、この穴は最近、しかもこの二〇分くらいでできたもののように思われた。
米沢だったものの首筋の穴を見ながら、考えこんでいると、中年の男性が神経質そうな声をだしながら近寄ってきた。
「な・・何なんですか!あなたたちは・・・これは一体?」
この会場の実質の責任者なのだろう。この事態に駆けつけてきたらしい。
たちあがって警察手帳を開いて見せる。
「警視庁刑事部警部補の泉田です。こちらは同じく刑事部の参事官。薬師寺警視。」
「警視・・・?女性・・・?参事官?」
狼狽えているのと、効き慣れない単語の連発で混乱しているらしい。
「えーと・・。とりあえず彼女は警察の偉い人です。殺人事件の可能性があります。もうすぐ警察が到着するので、それまでは現場保存の鉄則に従って、このままにしてください。お客さんやオーケストラの方々をはじめスタッフの方も、なるべく今の位置から離れないように。そう指示を出してください。」
私が、そう告げると責任者の男は青くなりながらも、パタパタと自分の仕事を行うために駆けていった。
先ほどの女性にしても、この責任者にしても、不測の事態だというのによくやっている方だと思う。威厳あるコンサートホールにするべく優秀な人材を配置したのであろう。
まさか初日から、しかもたった二〇分ほどで、栄光なる船出から、暗雲立ちこめる航海になろうなんて思いもしなかったであろうが。
更新日:2012-07-24 14:35:51