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ヘレンケラーの言葉



ある本に載っていた、ヘレンケラーの言葉です。


 「不幸せの極みにあるとき、 
  自分にはすべきことがあるのだと信じなさい。
  誰かの苦痛を和らげてあげられるかぎり、
  人生は無駄とはならない。

  わたしは 目と耳、舌を奪われても、魂を失わなかった。
  だから、全てを得ることができたのです。」



悩みや苦しみに迷い込んだとき、
何も見えなくなってしまうと思います。
でも、見えなくしているのは、自分なのだと思いました。

「幸せ」でないから、「不幸」なのだと、思うのだと思います。
だから、「幸せ」は自分で作るものだと思いました。


何があるから、「幸せ」なのか。
何がないと、「不幸」になるのか。

結局わからないって事は、何も必要でないんです。
何かが必要な様に、勝手に自分で思っているんです。
何かを得ないと、幸せになれないって事はないと思います。


幸せは、すでにあるんだと思います。
気が付かないから、別のところにあると思って、
探して、無いから不幸なのだと。

幸せだなって思うとき、
それは満足を得たときに感じるのではないでしょうか。
だったら、些細な事で、何気ない日常で、
満足できれば幸せなのだと思います。


例えば、鮮やかなバラではないけれど、
色あせながらがんばって咲いている道端のサザンカとか。

例えば、まっさおな青空に、
ぽつんといる小さなウサギみたいな雲とか。

そういうのを感じて、満足して、幸せになってもいいと思います。


何かが無いから「不幸」なのではなく、
他人が逃していた大事なものを知り、「幸せ」になる。

そういう、ヘレンケラーの様な生き方をしたいと思います。
自分の「幸せ」に気づき、人の苦痛を和らげてあげることができれば、
「幸せ」が広がっていくのではないかと、そう思いました。

更新日:2012-06-09 19:31:20

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