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(4)秘密

 それから、ないちゃんはお父さんと会いたくなるとこの崖の原っぱに行った。日によってお父さんと会えるときもそうでないときもあった。やがて、この秘密を自分だけのものにしておくのは申し訳ないと思うようになったないちゃんは、ある日、ピアノのレッスンの帰り道に一緒に歩いていた妹のさいちゃんに言った。
「今日は崖の原っぱを通って帰ろうか」
原っぱでは男の子たちが遊んでいたが、こちらに気をとめている様子はなかった。いつもお父さんと会う場所に着くと、ないちゃんは重大な話だと言わんばかりに深呼吸をし、肩に力を入れて話し始めた。
「さいちゃん、お父さんに会いたい? 今日、お父さんに会えるかもしれないよ」
「ほんとっ! どこで?」
さいちゃんはつぶらな黒い瞳をきらきらさせて食い入るようにないちゃんを見つめた。「ここで。だめなときもあるけど、たいていは会えるよ。そこに座って」
二人は草の上に腰を下ろし、膝を抱えて座った。
「ここでこうやって目をつぶってお父さんのことを考えながら、お父さんのことを心の中で呼んでいると、後ろのほうからお父さんが来るんだ」
ないちゃんの説明を聞いて、さいちゃんは幼稚園で聖書のお祈りをするときのように真剣に目をつぶった。お父さんが現れなかったらどうしようとないちゃんは一瞬不安になった。しばらくして、目をつぶってじっと耳を澄ましている二人の後ろから涼やかな風が吹いてきて、ほぼ同時に「やあ、待ったかい」というお父さんの声が聞こえてきた。「お父さん!」さいちゃんは子猿が母猿に飛びつくようにお父さんに飛びついた。お父さんはさいちゃんをひょいと抱き上げた。「お父さん、どこに行ってたの?」とさいちゃんが聞くと、お父さんは「チョコレートがあるよ」と言って赤い紙に包まれた板チョコをポケットから取り出しパキパキッと折って銀紙をはがして二人に手渡した。三人は甘いチョコレートが溶けるのを惜しむようにゆっくりと舐めた。

更新日:2012-05-02 23:03:59

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