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今日も明日も

「ゴメン、トイレに行きたくなっちゃった。ちょっと手伝ってもらってもいい?」

私は企画課にいる智子に、ヘルプメールを送信した。
ALSの確定診断を受けてから丸二年、確実に病気は進行していた。
飲食、着替え、キーボード入力、そしてトイレ。私が今日まで職場で実行することをあきらめたことの数々。キーボードの代わりはスクリーンキーボード、飲食やトイレは身体が慣れていった。

5分10分と待っても智子からの返事は返って来ない。1分おきに問い合わせしてみるが返信はなかった。
ヘルプメールを送信してから20分が過ぎた頃、智子が部屋にやって来た。

「遅くなってゴメン、打ち合わせしてて。さぁ行こうか」

私達は身体障害者用トイレを目指した。
目的を果たしてから洗面所で丁寧に手を洗い、ハンカチで指の間まで拭いてもらった。

「ありがと。助かったわ」
私はそう心の中で感謝しながら、何度も頭を下げた。

「またいつでも呼んでね。じゃあ」
智子は手を振りながら企画課へと戻っていった。


事務室に戻ると梶川課長が大橋課長と話をしていた。

「どうだ、変わりないか?」

私は首を縦に振りながらパソコンのディスプレイを見るように促し、急いでテキストエディタを起動した。

「あれ? キーボードは?」
「使わないから片付けてもらった」
スクリーンキーボードを使って入力し、梶川課長と会話を始めた。

「そうか、忙しくてなかなか話できないけど調子はどうだ?」
「身体障害者手帳と障害者基礎年金で1級認定され、今基礎年金もらっている」

Google日本語入力により、全ての文字を入力しなくても入力履歴などから入力したい語句の候補は出るが、それでもかなりじれったい。

「ん~そうか~」
「体重が減らないようにいっぱい食べて、機能維持のための筋トレとストレッチを毎日やっている」
「昼飯はちゃんと食べているのか?」
「時間かかるし歯磨きも大変。昼寝した方が疲れも取れるし頭も冴える」
「どこで寝てるんだ?」
「ここに枕おいて前かがみにおでこ乗せて。毎日爆睡してる」
「あ~そうか~。筋肉がなくなってきて疲れるんだな?」

「うん」とうなずき入力を続けた。

「この病気は落ち込んでいると進行が早くなるので、毎日笑顔で過ごすようにしている」
「うんうん」
「幸い、そばにいてくれる彼も明るい性格で、笑いすぎて腹筋がつることもよくある。世話のやける赤ちゃんなのにホントよくしてもらっている」
「そうか、良かったな」
「彼から笑顔が消えかけたら、介護保険の申請をして他の人の手を借りる予定」
「介護保険な。うんうん」
「同じころ発病して近くに住んでいる60歳の男性は、先日人工呼吸器と胃ろうの手術をして、今在宅介護中。色々と教えてもらっている」
「うんうん」
「海外では治験も進んでいるみたい。仕事に来ることが一番のリハビリなので、自分で限界を作らずできるだけ出勤しようと思っている」
「そうか、相原はまだまだ大丈夫だ。ストレッチやって、いっぱい食べて、な!」

思わず目頭が熱くなったが、気をそらして涙をこらえた。

「困ったことがあったら言うんだぞ。みんな助けてくれるから」

私は何度も首を縦に振った。

「冷たい手してるな~」

梶川課長は前の時と同じように私の手を取り、自分の体温で温めながら指を伸ばし始めた。
セクハラだぞオヤジ~。でも……ありがとうございます。

「じゃあ、また来るから」

智子も課長もありがとう。
大した仕事もできずに、みんなに迷惑かけっぱなしだけど、今の状態をなるべく長く維持するように頑張るね。



絶対 ……



更新日:2013-04-19 18:43:42

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