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アヴィニヨン、 レネの家族

新年まで、ずっとバルセロナで稼ぐのも退屈だという話になった。どうせなら近場に移動して、クリスマスまでにここに戻って来ようかと話がまとまったのだ。問題は、どこに行くかということだった。
「行き先が多数決なのはよくわかっているんですけれど」
レネがおずおずと言い出した。
「どこか、どうしても行きたいところがあるの?ブラン・ベック」
蝶子が優しく訊いた。
「これからもっと南へ行くんだし…、アヴィニヨンにはもう戻れませんよね。」
「フランス、プロヴァンスか。ここからなら半日で戻れる。年内に行きたいのか?」
ヴィルが言った。
「橋のある所だよな?特別な思い入れがあるのか?」
稔が訊いた。レネはもじもじと、とても言いにくそうに答えた。
「僕の生まれた家があるんです…」
三人は一瞬黙ったが、一斉に笑い出した。
「わかったよ。そりゃ行きたいだろう。行こうぜ」
稔が言った。蝶子はヴィルに言った。
「アウグスブルグには行かなくていいの?」
ヴィルは首を振った。
「俺の家族はいないんだ」
三人にはアウグスブルグにヴィルの家族がいないのか、ヴィルに全く家族がいないのかわからなかったが、ヴィルが何も付け加えなかったので、それ以上訊かなかった。少なくともレネのように帰りたがってないことは確かだった。
「じゃ、カルちゃんに頼まれたクリスマスパーティまでに戻ってくればいいじゃない。明日にでもアヴィニヨンに行きましょうよ。おうちは市内なの?」
「いいえ、十キロメートルくらい郊外です。でも、泊まるところの心配はしないでください」

バスを降りて、丘の上を目指してゆっくりと登っていると甲高い声が聞こえた。
「レネ、レネじゃない!まあ、まあ、まあ!」
足を止めて見上げると、丘の上にふくよかな女性の姿が見えた。
「母さん!」
レネが荷物を取り落として、そのまま丘の上までダッシュした。そして、母親と固く抱き合った。ヴィルがレネの荷物を拾って、ゆっくりと丘の上に向かった。三人が親子のもとに着いた時に、二人の興奮はようやく治まった。
「この人たちは…?」
母親の問いに、レネは眼鏡をとって涙を拭き、それから、嬉しそうに言った。
「僕の仲間なんだ。一緒に稼ぎながら旅をしているんだ」
三人はレネの母親を見て微笑んだ。レネにそっくりだった。ただし、ひょろ長いレネと対称的にまんまるだった。優しい笑顔で、突然連絡もなくやってきた一行を迷惑がりもしないで歓迎した。三人は自己紹介したが、レネの母親のシュザンヌは英語が話せなかった。ドイツ語も、もちろん日本語も。だが、そんなことはどうでもいいようだった。
レネの生家は、ベージュの壁が優しいイメージの、典型的なプロヴァンスの農家だった。広い庭があり、その先には眠りについた葡萄畑が広がっていた。家の中から、父親もでてきた。こちらは雰囲氣がレネにそっくりのひょろ長い手足の親父さんで、やはり暖かい人柄なのが一目で分かった。満面の笑みで突然帰ってきた息子の頭を小突き、仲間を歓迎した。父親のピエールはプロークンながら英語が話せた。
「もちろん、家に泊まっていってくださいよ。レネ、どのくらいいられるんだ?」
「クリスマスパーティまでにバルセロナに戻んなくちゃ行けないんだ。準備もあるから、そんなに長くはいられないよ。一週間くらいかな」
「そうか。じゃあ、また改めてゆっくり来るんだな。春から夏の方がいいだろうな」
「僕たち、居間かなんかで雑魚寝するから」
そういうレネに母親は厳しい顔で首を振った。
「こんなきれいなお嬢さんを雑魚寝させるなんて、なんてことをいうの?もちろん客間に泊まってもらうわよ」
「そっちの二人は、マリが使っていた部屋と元のお前の部屋がいいだろう。お前は居間か屋根裏部屋か好きな方を選べ」
「屋根裏は夏はいいけど今は寒いからな。居間にするよ」
「おい、ブラン・ベック。俺は別に個室でなくてもいいんだし、お前の元いた部屋で眠れよ」
「それもいいですね」
「なんだ、レネ。お前、ブラン・ベックなのか」
父親は大笑いした。

更新日:2012-04-21 06:51:46

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