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 戦は、更に三ヶ月続いている。
 アーラ宮や、周辺の街では不安の声が上がるようになってきた。
 オリヴィニスは時間を見つけては最上階の神殿へ登り、西の方を見つめている。
 無論、それで何が判る訳でも、何ができる訳でもないのだが。
 竜王を責めてはならない。
 彼は、今はもうその理由を知っている。


 執務室から突然飛び出してきた高位の巫子に、慌てて立ち塞がる。
「鐘楼だ」
 短く告げて、オリヴィニスは階段を二層降りた。そのまま、背後に親衛隊を引き連れて通路を歩く。
 ばたばたと通路の先から走る音が聞こえる。それは、こちらに気づくと急いで足を止めた。
「オリヴィニス様! 今、ご報告に上がろうと」
「話せ」
 短く命じた青年は、その横をすり抜けて先を急ぐ。
「東の草原に、煙が上がっております」
 聞き違いではなかった。オリヴィニスが眉を寄せる。
 鐘楼は、見張り小屋も兼ねている。地上五十メートルはあるそこからは、東の地平線の辺りの空が、薄黒く滲んで見えた。
 東は、イグニシアと国境を接していない。そして、カタラクタからの宣戦布告は受けていない。
 一体何故、草原に火が放たれているのか。
 オリヴィニスの焦燥は、ここで限界を迎える。
 無造作に、彼は胸壁に腕をかけた。
「巫子様……!」
 親衛隊の叫び声を背に、飛び降りる。
 その下は、アーラ宮の裏庭だった。たん、と小さな音を立てて降り立ったオリヴィニスに、驚愕の視線が集まる。
「馬を!」
 鋭く命じて、一つの扉を開く。
 彼は下位の巫子だった頃、この辺りで度々仕事をしていた。どこに何があるか、彼はよく知っている。
 最低限必要なものを適当な革袋に詰める。額に布を巻きつけて裏庭に戻ると、既に馬に鞍がつけられていた。
 戸惑った表情の巫子たちに一言労いの言葉だけをかけて、オリヴィニスは素早く騎乗して裏門へと向かった。
「オリヴィニス!」
 が、門に辿りつかないうちに声をかけられる。
 溜息をついて、顔だけを向けた。
「お前は内勤にしておくべきだな、リームス」
 走って来たのだろう、息が荒い。手に槍を持ち、男は信じられないというようにオリヴィニスを見上げていた。
「どこに行くつもりだ?」
「ちょっと偵察だ。東の様子を見てくる」
「一人でか? 莫迦を言うな。何日かかると思っている!」
 アーラ宮は、東西方向で言えば、フルトゥナの丁度中央辺りだ。通常なら、国境まで単騎でも一ヶ月はかかる。今草原が燃えているのがどの辺りかは判断できないが、それでも国境に近い辺りの筈だ。
 この頃は、オリヴィニスはまだ竜王の御力をもってしても、移動距離を縮めることはできない。少しばかり頭が冷えて、口を噤んだ。
「でも、まあ、情報を持っている者に行き会えるかもしれないしな」
 が、すぐに自己完結してそう告げる。
「待て! せめて、護衛を連れて行けよ!」
「私は十七まで草原で暮らしていたんだぞ、リームス? 私以上に草原を知っていて、私よりも若い者がいたら寄越してくれ。後からでも追いつく筈だ」
「無茶言うな!」
 ここで悪あがきをしない辺り、リームスはなかなか現実的だ。
「大丈夫だ。私がいなくても、竜王宮はちゃんと動く」
 小さく手を振り、オリヴィニスは馬の腹を軽く蹴った。
 そして、そのまま、開いている裏門から外に飛び出した。


 しかし、確かに国境まで馬で走るのは時間がかかる。
 そこで、オリヴィニスは一転して進路を湖に向けた。
 三日かけて港町アウィスへと進み、そこで船を雇う。
 大きさは必要ない。だが、馬を連れて行きたいという要求に、いい顔をする船主はあまりいなかった。
 結局、現地の竜王宮の口添えと資金とで何とかなったのだが。
 いつでも陸に上がれるように、さほど沖へは出ずに進ませる。
 これなら、国境まで行くとしても、遅くても五日ほどで着くだろう。
 オリヴィニスが船を下りたのは、結局湖に出て三日後のことだった。
 人気のない浜に下ろして貰い、内陸へと進む。
 西の地平線の辺りに、小さな砂埃が見えた。

更新日:2013-11-09 00:19:35

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