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人の章
バルコニーに出て、外部を眺める。なだらかに続く丘には、今、細かい雪がしんしんと降りしきっていた。
フルトゥナはまだ暖かかったなぁ、とぼんやりと思う。
かの地にいた時間の大半は、湖の上だった訳だが。
船に乗っていたのはほんの二十日間ほど、しかも海ほど波は荒くもなく、時折地上にも上がっていたのに、ここへ来た直後はしばらくの間ゆらゆらと世界が揺れていたものだ。
彼はその後、ぼんやりと一人物思いに耽った。
「お寒くはないのですか」
背後から、懐かしくも背筋が伸びる声がかけられるまで。
湖を西へと向かう船の中で、その会議は始まった。
「アウィスについてからのことを、話し合おうと思う」
グラナティスが、ぐるりと仲間たちを見回しながら、口を開いた。
その表情は、僅かに曇っている。
「我々はイグニシアを発ってから、風竜王を呪いから開放し、史実に残されてすらいなかった地竜王を目覚めさせることに成功した。この不可能とでも言うべき探索を果たすことができたのは、全て、皆が力を貸してくれたおかげだ。このグラナティス、心の底から礼を言う」
まずは堅苦しく、そう述べた。何かを感じ取ったのか、オリヴィニスですらそれを茶化そうとはしない。
「さて、この後、我々が目指すのは、ここだ」
卓に広げられた地図の一点を示す。
カタラクタ王国の、フルトゥナとの国境に近い、港街モノマキア。
「我々は、ここモノマキアから、龍神ベラ・ラフマ率いるイグニシア王国軍に、叛旗を翻す」
火竜王の高位の巫子の言葉がその場に沁み渡るまで、数分間沈黙が満ちた。
「王国軍、に……?」
一時的にとはいえ、属していた組織の名を告げられて、心が騒ぐ。
「いや、ちょっと待ってくれ、グラナティス。思い違いをしていたらまずいから、はっきりとさせよう」
眉間に皺を寄せ、オリヴィニスが提案する。
「叛旗を翻す、というのはつまり、反乱軍を編成する、ってことか?」
「そうだ。イグニシア王国軍は、進軍したのは水竜王の本宮のあるフリーギドゥムまでだ。その後、司令部は支配と戦後の協定を確固たるものにするため、カタラクタ王国の王都、カルタスへ移動している。カタラクタの東部だな。自然、そこからカタラクタ南部にかけては殆ど王国軍は駐留していない。国が負け、これから他国の支配下に入る、という鬱屈した空気だけがある。フルトゥナの前例を思い、怯えてもいるだろう。自ら闘ってもいないのに負けた、という、釈然としない気持ちもだ。
僕達は、そこで、今回の戦い、及び三百年前のフルトゥナとの戦いがイグニシア王国自身の意図ではなく、龍神ベラ・ラフマの野望に衝き動かされたものである、と四竜王の名のもとに宣言する。龍神を斃し、カタラクタを解放し、世界に平和をもたらすために」
グラナティスの言葉に、徐々にオリヴィニスとペルルの顔色が青褪める。
「……君は、再び戦争を起そうというのか」
「グラナティス様!」
自らの身を呈して終戦に持ちこんだペルルが、悲鳴に近い声を上げる。
だが、グラナティスは動じない。
「他にどんな手段がある。龍神は、今度こそ完全に滅さなくてはならない。地竜王を非難するつもりは毛頭ないが、僕はこの先の世界に奴を残しておくつもりはない」
『気にするな、カリドゥスの子よ』
鷹揚に、地竜王が返す。
火竜王の高位の巫子は、それに軽く目礼した。
「私達が自ら、龍神を斃すということだってできる。いや、その方がずっと容易い筈だ」
オリヴィニスの言葉に、グラナティスは小さく溜息を漏らした。
「平和というものは、竜王から、天より与えられるものではない。民の知らぬところで、巫子が奪い取るものでもない。現在、民に与えられているものは、侵略者としての汚名と、敗北者としての屈辱だ。僕たちだけが闘っても、それは世界から消えはしない。全てが龍神の企み故であったのだという真実を知らしめ、そして、民自身が汚名を雪ぎ、勝ち取らなくてはならないものだ」
断固として、グラナティスは断言する。
フルトゥナはまだ暖かかったなぁ、とぼんやりと思う。
かの地にいた時間の大半は、湖の上だった訳だが。
船に乗っていたのはほんの二十日間ほど、しかも海ほど波は荒くもなく、時折地上にも上がっていたのに、ここへ来た直後はしばらくの間ゆらゆらと世界が揺れていたものだ。
彼はその後、ぼんやりと一人物思いに耽った。
「お寒くはないのですか」
背後から、懐かしくも背筋が伸びる声がかけられるまで。
湖を西へと向かう船の中で、その会議は始まった。
「アウィスについてからのことを、話し合おうと思う」
グラナティスが、ぐるりと仲間たちを見回しながら、口を開いた。
その表情は、僅かに曇っている。
「我々はイグニシアを発ってから、風竜王を呪いから開放し、史実に残されてすらいなかった地竜王を目覚めさせることに成功した。この不可能とでも言うべき探索を果たすことができたのは、全て、皆が力を貸してくれたおかげだ。このグラナティス、心の底から礼を言う」
まずは堅苦しく、そう述べた。何かを感じ取ったのか、オリヴィニスですらそれを茶化そうとはしない。
「さて、この後、我々が目指すのは、ここだ」
卓に広げられた地図の一点を示す。
カタラクタ王国の、フルトゥナとの国境に近い、港街モノマキア。
「我々は、ここモノマキアから、龍神ベラ・ラフマ率いるイグニシア王国軍に、叛旗を翻す」
火竜王の高位の巫子の言葉がその場に沁み渡るまで、数分間沈黙が満ちた。
「王国軍、に……?」
一時的にとはいえ、属していた組織の名を告げられて、心が騒ぐ。
「いや、ちょっと待ってくれ、グラナティス。思い違いをしていたらまずいから、はっきりとさせよう」
眉間に皺を寄せ、オリヴィニスが提案する。
「叛旗を翻す、というのはつまり、反乱軍を編成する、ってことか?」
「そうだ。イグニシア王国軍は、進軍したのは水竜王の本宮のあるフリーギドゥムまでだ。その後、司令部は支配と戦後の協定を確固たるものにするため、カタラクタ王国の王都、カルタスへ移動している。カタラクタの東部だな。自然、そこからカタラクタ南部にかけては殆ど王国軍は駐留していない。国が負け、これから他国の支配下に入る、という鬱屈した空気だけがある。フルトゥナの前例を思い、怯えてもいるだろう。自ら闘ってもいないのに負けた、という、釈然としない気持ちもだ。
僕達は、そこで、今回の戦い、及び三百年前のフルトゥナとの戦いがイグニシア王国自身の意図ではなく、龍神ベラ・ラフマの野望に衝き動かされたものである、と四竜王の名のもとに宣言する。龍神を斃し、カタラクタを解放し、世界に平和をもたらすために」
グラナティスの言葉に、徐々にオリヴィニスとペルルの顔色が青褪める。
「……君は、再び戦争を起そうというのか」
「グラナティス様!」
自らの身を呈して終戦に持ちこんだペルルが、悲鳴に近い声を上げる。
だが、グラナティスは動じない。
「他にどんな手段がある。龍神は、今度こそ完全に滅さなくてはならない。地竜王を非難するつもりは毛頭ないが、僕はこの先の世界に奴を残しておくつもりはない」
『気にするな、カリドゥスの子よ』
鷹揚に、地竜王が返す。
火竜王の高位の巫子は、それに軽く目礼した。
「私達が自ら、龍神を斃すということだってできる。いや、その方がずっと容易い筈だ」
オリヴィニスの言葉に、グラナティスは小さく溜息を漏らした。
「平和というものは、竜王から、天より与えられるものではない。民の知らぬところで、巫子が奪い取るものでもない。現在、民に与えられているものは、侵略者としての汚名と、敗北者としての屈辱だ。僕たちだけが闘っても、それは世界から消えはしない。全てが龍神の企み故であったのだという真実を知らしめ、そして、民自身が汚名を雪ぎ、勝ち取らなくてはならないものだ」
断固として、グラナティスは断言する。
更新日:2013-04-30 00:23:31