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 呆然として、卓に広げられている地図を見つめる。
 ペルデル湖。
 大陸の中央にある、巨大な内陸湖であり、その面積は、大陸の四分の一近くを占める。
 それだけの範囲に影響を与えるとは、一体どれほどの威力なのか。
 自分の持てる力と比べて考えただけで、アルマナセルは眩暈がした。
 イェティスは、もう反論もできず、無言でその場に立っている。
 彼の巫子は、まだ顔を上げられていない。
 数十秒考えこんでいたグラナティスが、無造作に口を開く。
「そろそろ自分を哀れむのはよせ、オリヴィニス。今更昔のことを悔やんで何になる。お前には三百年も好きに使える時間があっただろうが」
 その言葉に、イェティスが弾かれるように視線を向けた。
「貴方は……!」
 この風竜王宮親衛隊隊長には、グラナティスに対する免疫がない。その場にいる一同が、流石に彼を気の毒に思ったところで、力ない声が上がった。
「よせ、イェティス」
 オリヴィニスが顔を上げ、片手でやんわりと非公認の部下を制している。
「しかし……」
「いいんだ。ありがとう」
 短く礼を言われて、イェティスは驚いたように黙りこんだ。
 そのまま、風竜王の巫子は顔を火竜王の巫子へと向けた。その視線は、ここしばらくはなかったほどに冷たい。
「それで? 君は私に、一体何をさせたいんだ?」
 一ヶ月ほどのつきあいではあるが、こちらはよく相手を知っている。
 グラナティスは勿論それに気圧されることなどなく、薄く笑みを浮かべた。
「先刻言っていた、歌だ。覚えているな?」
「え? それはまあ、大体のところは」
 応じられた内容が意外だったのか、きょとんとした風で答える。
「よし。後で、一度聴かせてくれ。竜王、というところを地竜王と龍神にそれぞれ置き換えてみよう。それから、イェティス」
 幼い巫子は全く何の感慨もなく、未だ敵意を露わにしている青年を見返す。
「お前の拠点には、この冬、どれほどの民が帰ってきそうだ?」
 しかしその台詞に、イェティスはあからさまに狼狽えた。
「……イェティス?」
 不思議そうに、オリヴィニスが見上げる。
「何のことをおっしゃっているのか、さっぱりですね」
 露骨に視線を逸らせて、親衛隊隊長が呟く。
 笑みを湛えたまま、グラナティスがひらりと片手を振った。
「僕たちを間抜け扱いしないでくれ。騎馬の民だということを考えても、あの村には厩が多すぎる。僕たちを泊めても、客室はまだ余っていたな。普段は誰も住んでいないような建物も幾つかあった。岩山の間に作られているのに、空地も多い。あれだけの土地を切り開くのにどれだけの労力を費やした? あの立地では、村人たちが食べていける程度の農耕と遊牧でやっとだろう。それにしては、グラスの造りがやたらと美しかったな。職人が作ったように。何より、プリムラが子供と接触した時に、全く物怖じしなかったそうじゃないか。彼らは、外から人が訪ねてくるのに慣れている。違うか?」
 次々と並べ立てられる言葉に、唖然として聞きいる。
 イェティスは固い表情で、口を引き結んでいた。
「別に、お前たちを責めるつもりはない。故郷の一端にでも触れたいものだろう。安心して過ごせる土地が一つは欲しいだろう。ただ、訊きたいだけだ。今後、どれほどの民が戻ってくる?」
 呆けたように、オリヴィニスはイェティスを見上げている。
「……今年はカタラクタへ移動できないようですし、通年よりは多くなるでしょう。と言っても、五十家族には届かないと思いますが」
「充分だな」
 ロマの一家族は人数が多い。ざっと三百人ほどにはなるだろう。あの村は、人口が倍に膨れ上がることになる。
「……無茶なことをしている。イグニシアは、ロマが集結することについて未だ神経を尖らせているのに」
 事態を飲みこみ、呆れたような口調でオリヴィニスが呟いた。
「お怒りではないのですか。その……、お知らせしていなかったことを」
 戸惑った風で、イェティスが返した。
「私には何を言う権利もないよ。グラナティスが言ったように、お前たちの気持ちは判る。……で、君は、彼らに何をさせたいのかな?」
 再度、グラナティスへ向き直る。その態度からは、もう捨て鉢な様子は一掃され、油断は見られない。

更新日:2013-02-22 23:25:52

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