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 がちゃん、と鍵が回る音が響いて、口を噤んだ。
 長い、不吉な軋みと共に扉が開く。
 戸口から現れたのは一人。見知った青年だった。
「よぅ」
「……何をやってるんだ、君は」
 軽く声をかけると、呆れたような声が返される。
 牢獄の中には窓がない。蝋燭もなければ暖炉もなかった。だから、暗闇に満ちているはずだったのだ。本来は。
「暇だったからな。訓練だよ」
 今は、アルマナセルの創り出した色とりどりの光球が天井付近に幾つも浮いていて、柔らかな光が降り注いでいる。
 それを見上げ、オリヴィニスは軽く頭を振った。
 鉄の扉に体重をかける様にして閉じる。
「余裕じゃないか」
 鍵こそはかけないが、そのまま見下ろしてきた。
 アルマナセルは今、石造りの床に横たえられている。床に据えつけられた鉄の輪に手足を拘束されて。
 彼の身体に対して、微妙にそれらの間の距離が足りず、肘や膝が浮くのが不快だ。まあ立たされているよりは疲れないだろうが、気だるさは時間と共に蓄積した。殆ど自由のない体をできる限り動かして、体勢を変えるしかない。
 ただ確かに、苦痛もなければ焦りもない。余裕といえば余裕だ。
 何やら考えこむように立っていたオリヴィニスが、アルマナセルの隣に座った。
「アルマナセル。君に、訊きたいことがあるんだけど」
「ん?」
 こんな状況だというのに、二人ともが世間話のように口を開く。
「君、以前、言ってたよね。『見栄を張るのなら、心臓が止まるまで張り続けるべきだ』って」
「よく覚えてるんだな」
 僅かに感心して返す。それは行軍中、雪山でいつ倒れてもおかしくない時に話した言葉だった。
「私は……、以前、『見栄』を張っていた。張り続けて、何もかも失うまで張り切った。そこまでのことで、私に悔いはない。だけど、もう、『見栄』なんてなくていいと思っていたのに」
 隣に座る青年は、こちらを見てはこない。
「アルマナセル。私は、また、彼らに『見栄』を張り始めるべきなんだろうか」
「お前のしたいようにすればいいんじゃないか?」
 絞り出すように尋ねられた言葉に、アルマナセルはあっさりと返した。驚いた視線がようやく向けられる。
「俺だって、この間グラナティスが大公家だのその周囲のしがらみだのを一旦棚上げにしよう、って言ってくれて、もの凄く楽になったんだよ。正直、ここまでその『見栄』って奴が重いものなんだ、って、無くすまで気がつきもしなかった。勿論、俺は結局大公子だし、どうせ言葉の上での問題でしかない。だけど、俺が楽になっていいんだったら、お前だって別に楽になっていいに決まってるだろ。ノウマード」
 ノウマード。『放浪者』という名を初めて名乗った時は、ただ自虐と後悔と餓えるような贖罪への渇望しかなかったように思う。
 自ら棄てた民の苦難をも、この身に受けたかったのだ。
 流浪を続ける民が、この荒野に留まり、呪いが解けるのを何代も待ち続けた民が、何を望んでいるか本当に知りもしないで。
「楽に、か」
 ふ、と小さく笑みを零す。
「グラナティスが企んでいることは、絶対私を楽にさせそうにないけどね」
「あー、まあ、うん」
 肯定しづらいが否定はできなくて、曖昧に返事を返す。
 オリヴィニスが、手の中で何かをくるりと回した。ちゃり、と音がして、一本の鍵を指で摘む。
 青年は身体を捩り、アルマナセルの両手を頭上で固定する鉄の拘束具に鍵を差しこんだ。重い音が響いて、拘束が緩まる。
「……痺れた……」
 手首を揉みほぐしながら、起き上がる。オリヴィニスは石の床に膝をつき、足首の拘束具を覗きこんでいる。
「君のことだから、おとなしく捕まっていないと思ってたよ」
「そりゃこんなもん、五分もあれば外せたけどな。初めてお邪魔した家を破壊する訳にはいかないだろ」
 茶化すように返されて、オリヴィニスはちらりと視線を流した。
「それに、お前とグラナティスのことだから、どうせ口先でなんとか丸く収めると思ってたさ。けど、やたら時間がかかったと思えば……」
 オリヴィニスが額に巻いている布は、今は外れ、前髪の間からエメラルドが覗いている。そして、イグニシアを旅立つ時から黒く染められていた髪は、以前よりはやや濃い栗色に戻っていた。
「参ったよ。わざわざ染めるなんて信じられないって激昂されたんだ」
 疲れたような口調で告げる。髪の毛は、しっとりとまだ濡れているように見えた。
「過保護な部下を持つと大変だろ?」
 訳知り顔で返すアルマナセルを、青年は半眼で見据えた。

更新日:2013-01-19 00:17:05

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