• 162 / 770 ページ
 さほど距離はないため、船に乗っている時間自体は、あっという間だった。
 物資を積みこみ、馬車と馬を船から降ろす。
「それでは、三日後を目処に」
「ああ。宜しく頼む」
 竜王兵たちと簡単に挨拶を交わし、彼らは再び馬に乗った。
「封印が解けた、っていうのは本当なんだな」
 砂埃の舞う中で、アルマナセルが呟く。生命あるものが踏みこめば即座に死を迎えた、という伝説の呪いは、彼らに襲いかかってはきていない。
「いや、この辺りはまだ厳密にはイグニシアだよ」
 しかし、あっさりとオリヴィニスが否定した。
「川が国境じゃないのか?」
 首を傾げ、アルマナセルが問う。
「昔、侵攻以前はそうだったんだけどね。イグニシアが攻め込んできて、前線がどんどんと内陸へ向かっていった。あの呪いが発動した時点で、フルトゥナが確保できていた土地が、呪いの範囲内だ。川から二十キロばかり、内陸に入ったところになる。カタラクタ側も同じだ。尤もあっちは、進軍の速さだけを重視して進んでいったから、イグニシア軍が占拠していた土地はあまり広くないけど」
「どちらにせよ、呪いの境界がはっきり判るような人間はそういない。川を国境としておいて貰えれば、こちらとしても好都合だ。呪いが及ぶ土地まで来たら、僕とお前とアルマナセルでもう少し緩めよう。そうすれば、楽に進んで行けるはずだ」
「俺が?」
 驚いて少年が訊き返す。
「当たり前だ。何のためにお前を引き摺ってきたと思っている」
「色々心当たりがありすぎるよ」
 断言されて、溜め息をつきつつぼやいた。
「草原の国だって聞いてたけど……」
 坂道を上りきった辺りに聳え立つ岩山を見つめながら、プリムラが戸惑った。
「冬だからね。草はもう枯れてる。この岩山もそんなに長くは続かないよ。まあここにこれがあったおかげで、しばらくは侵略軍を抑えることができたんだけど。護るには容易い地形だ」
 岩山の間を風が通り、甲高い、奇妙な音を立てる。まるでどこかで人が泣き叫んでいるような。
 そして、整備すらされていない街道は、酷く状態が悪かった。石畳は割れ、剥がれ、落ち窪んでいる。
「オリヴィニス! どれぐらいかかりそうだ?」
 がたがたと揺れる馬車の窓から顔を出して、大声でグラナティスが尋ねた。
「順調にいけたとしても、ほぼ一日近くかかるだろう。それに、できれば呪いを越える辺りまでは慎重に行きたい。今日はもう午後を回っているし、進めるだけ進んで、どこかで夜を明かして明日の朝から始めた方が……」

「……オリヴィニス……?」

 風の中に、小さな囁きを聞いた気がして、オリヴィニスが鋭く視線を上げる。
 石を踏んで土が崩れる音。呼吸音。軋み。弓の、弦。
「走れ!」
 叫びと共に、馬の脇腹に踵をぶつけた。がらがらと音を立てて疾走する一行の頭上を、放物線を描いて幾本もの矢が飛んでいく。
「きゃぁあ!」
 御者席を飛び越えて落下した矢に、プリムラが悲鳴を上げる。
 岩山のどこかに身を隠している襲撃者は、こちらに一切姿を見せない。
 長くは続かない、とは言ったが、だからといって数分で抜けられるものではない。まして、待ち伏せされていたこの状況で。
 ぎし、と奥歯を噛んで、オリヴィニスは顔を上げた。風切音を響かせながら、絶え間なく降り注ぐ矢の軌跡を計算する。
 しかし、当たりそうもない。一本も。
 ……これは、わざと外しているのか。
 嫌な予感に、眉を寄せる。
 谷底を走り抜ける一行が道なりに曲がり、そして急激に手綱を引いた。
 百メートルほど向こうで、二十人を越える男たちが、馬に乗ってこちらに対峙している。
 弓に矢を番え、こちらへ向けて引き絞る彼らの装束は、深緑で統一されていた。
 頭上からざざ、と土を崩す音が響く。急勾配の崖を、一頭の馬が苦もなく下りてきていた。そのまま、彼らと行く手を阻む者たちとの間に入る。
 息を弾ませ、焦りに満ちた視線でアルマナセルやクセロが周囲を見回す。
 オリヴィニスは、ただ、真っ直ぐに相手を見据えていた。
 岩山から下りてきた一騎が、前に進み出た。恭しく馬上で一礼する。

「風竜王宮親衛隊隊長、イェティスより、ご帰還をお喜び申し上げます。高位の巫子オリヴィニス様」

 ただ、真っ直ぐに、相手を睨み据えていた。

更新日:2012-11-26 23:00:04

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook