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5.『金魚鉢 五月雨 ミルクティ』

 再び境の車に乗り、松坂が待っているであろうアパートに戻る。心配していたのだが、諦めたのかアパートの周囲にも部屋の前にも秀之の姿は無かった。躊躇いがちに呼び鈴を押すと、すぐにドアに駆け寄る足音がして白っ茶けた木製のドアが勢いよく外側に開く。玄関口まで飛び出して来た松坂は南の無事な姿を見て安堵したのかホゥッと大きく息をつくと、すぐに視線を境に移した。
「この人は境さん、さっきの車の」
 問うような視線に、自分を助けてくれた人だと南が説明すると、松坂が硬い表情のまま「ああ」と答える。
「先程は南を助けて頂き、どうもありがとうございました」
 松坂はペコリと頭を下げて境に礼を言うと、手を伸ばして南の手首を掴んだ。
「後は大丈夫ですんで……南、おいで」
「え……う、うん」
 いきなりグイと引き寄せられた南は、ちょっと驚きながらも小さく頷く。そして、境を見上げてもう一度礼を言った。
「それじゃ、今日は本当にありがと。気を付けて帰ってな」
 南の言葉に、松坂から視線を戻した境が「ああ」と答える。
「また日曜日に……」
 さんざん世話になったのに立ち話だけで帰すのは何だか気が引けていた南は、その言葉にパッと笑顔になる。
「うん。今日のお礼に、今度はオレが奢るよ」
 ニカッと笑ってそう言うと、境が不意に手を伸ばして南のなめらかな頬を指先でスリ、と撫でた。
「学生は奢られておけと言っただろう、夕也」
 目元を和らげながら諭すように言われて、南は必死になって「今回だけ!」と食い下がる。
「今回だけは奢らせて!」
 懇願するように手を合わせて言うと、その言葉に再び境が笑みを深める。
「わかった。じゃあ、日曜日に」
 境はそう言って今度は手の甲で南の頬を撫でると、じゃあ、と言って玄関から出て行った。
「何だろ……ホッペタ撫でられちゃった」
 頬に残った境の手の感触が何ともくすぐったくて気恥ずかしくて、思わず頬をさすりながら笑うと、その言葉に松坂が「子供扱いされたんだろ!」と怒ったように言って勢いよくドアを閉める。
「怒らないのかッ? お前、子供扱いされるの嫌いだろッ?」
 その言葉に、南は思わずムッと口を引き結んで返した。
「なに怒ってんだよ! それならお前だって同じだろッ? さっき無理矢理引っ張ったじゃん!」
 いつの頃からだろう、自分の成長が周囲の同級生に置いていかれていることに気付いた。高校一年生くらいまでは走るのなら誰にも負けなかったのに、だんだん身軽さや俊敏さだけでは敵わなくなり、最後の運動会では圧倒的な筋肉量の差に悔し涙を呑んだ。以来、力ずくで何かされるとついカッとなってしまう。それをよく知っている松坂は、だから今までは絶対に自分の力を見せ付けるようなことはしなかったのだが、先程は違った。自分の腕を掴んでグイと引き寄せた時の松坂の手の感触を思い出し、南はギュッと眉を引き寄せる。
「お前だけは絶対にしないと思ってたのに!」
 思わず怒鳴るようにそう言うと、南は持ったままでいた携帯電話を松坂の胸にドンと押し付ける。そしてサッと身を翻すと、体当たりするようにしてドアを開けた。
「南ッ!」
 慌てて後から飛び出して来た松坂が、南を引き止めようとしてグイと手首を掴む。南はその力のあまりの強さに思わず「痛ッ!」と声を上げると、相手が一瞬怯んだ隙を突いてその手を勢いよく振り解いた。
「離せよ、このバカヂカラ!」
 目尻を吊り上げて大声で怒鳴ると、その言葉に松坂の両目がスゥと据わる。
「俺が馬鹿力なんじゃない……お前が弱いんだ、南」
 松坂の言葉に、カッと南の顔が朱に染まる。それは羞恥ではなくて激しい怒りだった。
「オレがこんななのはオレのせいじゃない!」
 南は大声で叫ぶと、夢中で隣室へと走る。そして、自分の部屋の鍵を開けて夢中で室内に飛び込むと、バン! と叩き付けるようにしてドアを閉めた。
「南!」
 わななく手で大急ぎで鍵を締めた直後に、ドアノブが「ガチャッ」と音を立てる。
「開けてくれ、南!」
 ドアノブは暫くガチャガチャと金属音を立てていたが、やがて「ごめん」という小さな声と共に静かになった。
「くそッ……!」
 ドアに背を付けて歩き去る足音を聞きながら、南はズルズルと半畳ほどの土間に座り込む。こんなのは八当たりだとわかっていても、嵐のような感情をどうすることも出来なかった。

更新日:2012-02-02 20:51:45

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