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9 カクテル

   

ある日、早弥の昔の同僚が、

「サヤヤン単発の仕事あるよ」

と電話をくれて、
早弥はそれを受けることにした。


加也は
「薬が効いていて比較的調子がいいので、
自分で食事を食べるから大丈夫」と言った。
そして
「よかったな、小遣いないと不便だろ。」
と言ってくれた。


早弥は加也を部屋に残して、
夕方、打ち合わせの夕食に出かけた。
小遣いこそもらっていなかったが、
おおよその生活費を加也が出してくれていたので、
失業給付の残りをいくばくか持っていた。
打ち合わせの食事くらいなら問題はない。

打ち合わせは滞りなく終わって、
早弥は仕事のプランを受け取って帰途につこうとした。
ちょうど店を出たそのとき、声をかけられた。


「草壁さんじゃないですか。こんばんは。
お帰りですか。
俺もちょうど帰るところです。」


長船だった。

なんでこんなところで、と
早弥は舌打ちしたい気分だったが、
しない程度の良識はあった。

「…こんばんは。」
「あの、よかったら一杯やりませんか。おごります。
以前から入りたかった店があるんだけれど、
俺、成人したばかりで、
なんかちょっと気後れしちゃって。」


…口調はそんな調子だったが、
すごい勢いでがっちり腕を掴まれていて、
返事にノーの選択肢はなかった。
 


長船に連れて行かれた店は、
幸い変な店ではなかった。
にぎやかな通り沿いにあって、
ガラス張りの入り口の外から、
光るグラス棚や
ズラリと並んだ多彩な洋酒壜の見えるカクテルバーだった。
そこそこに混みあっている。
バーテンダーは全て女で、客もみな品がいい。


もってこられたメニューに
早弥はまた舌打ちしたい気分になった。
なにがなんだか名前だけではわからない。
カクテルは詳しくなかった。

 一方長船はというと平気な顔で
マルガリータを注文している。

「気後れ」なんぞというのは嘘で、
長船は成人前から
こんな店に出入りしているに違いなかった。


「…成人したばかりなのにお酒詳しいんだね。」
「親がカクテル好きで。たまに飲まされてました。
…何にします?」
「…何にしよう。
甘くてアルコールの少ないやつがいいな。」
「俺が選んでもいいですか。」
「いいよ。」

 長船は注文をとりにきていたバーテンダーの女性に言った。

「そちらには楊貴妃を。」

 バーテンダーは注文を書くと
頭を下げて戻っていった。

「こんなところでお会いできて嬉しいな。
 草壁さんいつも取り付く島もないから、
なかなかお話できなくて。」

「…別に話すようなこともないでしょう。」

「…俺にはあるんだな、これが。」


 長船はそういって笑った。
 …そうこられては仕方がない。

「なんですか、話って。
ごみの出し方でも間違ってました?」

早弥がため息混じりに言うと、
長船は快活に笑った。

「ごみは知りませんよ。
管理人の仕事だ。
オーナーの仕事じゃない。」

「え…?」

「…うちの親はあのマンションの所有者です。
管理はよそに任せてますが。」

あごがぬけてテーブルに激突するかと思った。

「そうなの?!」
「そうなんです。」
「じゃもしかして契約違反の話?!」
「管理はよそにまかせてますってば。
それに、親だし。俺じゃあないですよ。

俺は親のマンションの部屋タダ借りして
一人暮らししているしがない大学生。」


 …しがなくない。


早弥はおびえた。
何か脅されるにちがいない、
と思った。

なぜか、
加也が殺されるかもしれない、
とも思った。


「で…でてくよ! 
だから志藤のことは責めないで。
志藤はただ親切にしてくれただけなんだ!」
 
「だから大家に言うとはいってないでしょ。」

長船は煩わしそうにいった。

「じゃ、じゃあなんだよ。」

毛を逆立てる猫のように警戒して早弥が言うと、
長船は笑ってため息をついた。

そこへカクテルが運ばれてきた。

長船の前には色の薄いカクテルが、
早弥の前にはきれいな水色のカクテルが置かれた。


「…少しきいてほしいことがあるんです。
出て行けとかそういうことじゃない。

ただ、聞いてほしいだけなんですよ。
おかしな内容だけれど…」


長船はそういって、カクテルを口に運んだ。



 


更新日:2012-02-05 20:28:50

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