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10 長船の夢

  

 

「…子供のころから夢を見るんですよ。」
 
早弥は顔を上げた。
長船はその反応に満足したようで、少し微笑んだ。

「最初に見たのは五歳くらいかな。

なにかこう、田舎というか、昔というか…
海辺の村に住んでいる。
小さな村です。

お金持ちの娘に恋をして、
年頃になって、
結婚したいと思うようになる。

その村は原始的な平等社会で、
お金持ちだから偉いというものでもなく、
持っている人は持っていない人に食事をわけ、
お互い助け合うような、
そんな共同体だった。

私有財産の概念も胡乱で、
ものがなかったら『かしてくれ』で借りパク。
それどころか
『おう、借りといたから』の事後承諾でも
特に問題はなかった。
そういう共同体でした。

だから金持ちといっても
せいぜい家畜をたくさん飼っている程度のことでした。

つまり、わかりますか、
誰でもお金持ちの娘に、
求婚できたんです。」

「…」

 早弥はぽかんとして長船の顔を見た。
 何の話だ、と思った。

「…俺はそこでは村長の息子で、
彼女は当然、俺と結婚すると思っていた。
俺と結婚すれば苦労することも少ないし、
みなに大切にされるでしょう。
彼女の親もそれを望んでいた。

でも彼女は、
なまじ美人だったので、
求婚者が五人もいたんです。

そして五人の権利は平等でした。」


…舟だ、
と早弥はそこまで聞いて
やっと思い至った。


「共同体の中での揉め事は嫌われました。

だから、五人の男たちで
ボート漕ぎの勝負をして、
勝ったものが彼女を娶るのです。

村では昔から、
そういう事態が起こったとき、
そうする決まりだったのです。

恨みっこなし、
というわけです。」


早弥はぞっとした。
女には人格もなく、
選ぶ権利もない。
早弥の夢はそうだった。

…その続きを、早弥は知っている。


「…俺と彼女の両親の間では、
俺と彼女が結婚するのが妥当だと、
暗黙の了解があったんです。

…でも求婚者の中に
変なやつが一人いて…

そいつは孤児で、
村全体で面倒をみていた男だったのですが…

野生の動物を手なづけたり、
楽器が上手かったりする、
ちょっとした変わり者でした。

…船を漕ぐのが、
滅法早かった。」


「…」


「…このままでは困ったことになると
親たちは思ったようでした。

でも俺は…やつに負ける気はなかった。
絶対勝ってみせると思っていた。」


「…」


「実際俺はレースで一位になったんです。

ただ、皮肉なことに、
フェアな勝負じゃなかった。

そいつの舟に、事故があって…
そのレースの途中で彼は死んだんです。

…まあそれはそれとして…

実は…草壁さんは、
その夢に出てくる女性と
同じ顔をしているんです。」

熱い痛み、広がる血の幻…
ぐらぐらと視界が回転した。


「もういい!」


早弥は思わず言った。
そしてカクテルを飲み干すと席を立った。


「ご馳走様!」


早口に言い捨てて、
早弥は素早く店を駆け出した。

店の出口で早弥は転んだ。

肩越しに振り返ると、
長船はまだ早弥になにかいいたそうに、
薄く口を開いてこちらを見ていた。

早弥は無理やり起き上がり、
よろけながら走ってその場を去った。
 


更新日:2012-02-05 20:31:38

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