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1 寒い朝
飲み残したコップの水を植木に注いでいると、
後ろから加也が言った。
「…ついたの、それ。」
「…みたい。黄緑の新芽出てきた。」
早弥が水をやっていたのは、去年の水木だ。
水木というのは、神棚に飾る照陽樹の小枝のことだが、
まめに水をとりかえていたところ根っこが出てきたので、
鉢植えに仕立ててみた。
やがて水木は元気に新しいぴかぴかの葉を出した。
根づいたのだ。
「…おまえってまったく不思議なやつだよな。」
「…僕がやったわけじゃない。水木に根性があったんだ。」
…水木は普通、神棚の上でドライアップしてしまうものだ。
根を出すなどというのは、まさに「根性」だ。
「俺が一人で住んでたときは水木はことごとく枯れたぜ。」
加也はそういって少し笑うと、離れていった。
加也の部屋にある神棚は、加也の叔父の遺品だという。
処分するのもなんだか気持ちが悪いから、
もらってきたのだそうだ。
だからといって正しい祭り方なぞしらないので、
正月に神社のお札を買って、
宝船と水木を飾るくらいがせいぜいだった。
ホームセンターでみつけた説明のチラシには、
それしか書いていなかった。
あとは困ったときに、
叔父の好きだったウィスキーを上げて拍手を打ち、
「おじさん、助けてくれ!!」
と、加也は叫ぶ。
加也はその叔父と仲がよかったらしい。
叔父は独身のまま亡くなったと聞いている。
加也と同じ性癖だった。
早弥がこの部屋に転がり込んできたとき、
加也はSEだった。
家にほとんどいないから、
好きに使っていいぜと言われた。
そのかわり、
留守番をして、回覧板を回したり、
玄関先を掃除したりする約束になった。
神棚の掃除もだ。
早弥と加也は故郷が同じで、古い知り合いだったが、
それほど仲が良かったわけでもなかった。
ただ、お互いなんとなく気になる相手ではあった。
機会があれば親密になっていたのは間違いない。
そんな二人だったので、
出てきた都会で広告屋だった早弥が失業して、
会社の寮を追い出されたとき、
たまたま飲み屋で会った同郷の加也が
助けてくれたのだった。
だがそれは後になって、
加也自身を助けることになった。
加也はそのしばらく後、
過労でうつ病になり、SEをやめた。
金は少しあったが、自分では何一つできなくなった。
早弥はあわてて、
食事のしたくから愚痴の聞き役まで、
加也の相手を引き受けた。
そんな日々のある日、加也が言った。
「おまえさ、
どうして俺がお前をここに呼んだか、わかってんの。」
早弥はその日も水木の水を足しながら言った。
「親切だから。」
「馬鹿か。」
「違うの。」
「…昔から可愛いと思ってたから、食ってやろうと思って、
恩売ったんだよ。
…そろそろ出て行かないと食うぞ。食いごろだ。」
「わかった、家賃は体で払うよ。」
早弥は笑って言った。冗談だと思ったからだ。
だが冗談ではなかった。
早弥は人生に対して投げやりで、
加也のすることにもさほど抵抗は感じなかった。
むしろなんとなくほっとしたくらいだった。
無償の親切が、早弥にとっては不気味だったからだ。
そうしていつの間にか
なし崩しに情人になってしまった二人だったが、
相性は悪くなかった。
まだ水木が水だけで命をつないでいたころから、
鉢植えで新芽を出すまで、
振り返ると意外に長かったが、
水木の新芽のように、何かが二人の間に育ちつつある。
「じゃあ、いってくっから。」
「いってらっしゃい。
帰りに電車に飛び込まないでね。」
「大丈夫だよ。俺ビビリだから。
そういう勇気あることできない。
リスカくりかえしてためらい傷だらけになってまだ死ねない、
みたいな。そんなだろ。
叔父貴もそうだった。」
「…加也は叔父さんじゃないよ。」
「…わかってる。」
昨晩は星がきれいだった。
放射冷却というやつだろう、今朝は寒い。
早弥は加也にマフラーを巻いてやり、
そっと背中を叩いてやった。
加也は手を振って、
青空のもと、病院へ向かった。
後ろから加也が言った。
「…ついたの、それ。」
「…みたい。黄緑の新芽出てきた。」
早弥が水をやっていたのは、去年の水木だ。
水木というのは、神棚に飾る照陽樹の小枝のことだが、
まめに水をとりかえていたところ根っこが出てきたので、
鉢植えに仕立ててみた。
やがて水木は元気に新しいぴかぴかの葉を出した。
根づいたのだ。
「…おまえってまったく不思議なやつだよな。」
「…僕がやったわけじゃない。水木に根性があったんだ。」
…水木は普通、神棚の上でドライアップしてしまうものだ。
根を出すなどというのは、まさに「根性」だ。
「俺が一人で住んでたときは水木はことごとく枯れたぜ。」
加也はそういって少し笑うと、離れていった。
加也の部屋にある神棚は、加也の叔父の遺品だという。
処分するのもなんだか気持ちが悪いから、
もらってきたのだそうだ。
だからといって正しい祭り方なぞしらないので、
正月に神社のお札を買って、
宝船と水木を飾るくらいがせいぜいだった。
ホームセンターでみつけた説明のチラシには、
それしか書いていなかった。
あとは困ったときに、
叔父の好きだったウィスキーを上げて拍手を打ち、
「おじさん、助けてくれ!!」
と、加也は叫ぶ。
加也はその叔父と仲がよかったらしい。
叔父は独身のまま亡くなったと聞いている。
加也と同じ性癖だった。
早弥がこの部屋に転がり込んできたとき、
加也はSEだった。
家にほとんどいないから、
好きに使っていいぜと言われた。
そのかわり、
留守番をして、回覧板を回したり、
玄関先を掃除したりする約束になった。
神棚の掃除もだ。
早弥と加也は故郷が同じで、古い知り合いだったが、
それほど仲が良かったわけでもなかった。
ただ、お互いなんとなく気になる相手ではあった。
機会があれば親密になっていたのは間違いない。
そんな二人だったので、
出てきた都会で広告屋だった早弥が失業して、
会社の寮を追い出されたとき、
たまたま飲み屋で会った同郷の加也が
助けてくれたのだった。
だがそれは後になって、
加也自身を助けることになった。
加也はそのしばらく後、
過労でうつ病になり、SEをやめた。
金は少しあったが、自分では何一つできなくなった。
早弥はあわてて、
食事のしたくから愚痴の聞き役まで、
加也の相手を引き受けた。
そんな日々のある日、加也が言った。
「おまえさ、
どうして俺がお前をここに呼んだか、わかってんの。」
早弥はその日も水木の水を足しながら言った。
「親切だから。」
「馬鹿か。」
「違うの。」
「…昔から可愛いと思ってたから、食ってやろうと思って、
恩売ったんだよ。
…そろそろ出て行かないと食うぞ。食いごろだ。」
「わかった、家賃は体で払うよ。」
早弥は笑って言った。冗談だと思ったからだ。
だが冗談ではなかった。
早弥は人生に対して投げやりで、
加也のすることにもさほど抵抗は感じなかった。
むしろなんとなくほっとしたくらいだった。
無償の親切が、早弥にとっては不気味だったからだ。
そうしていつの間にか
なし崩しに情人になってしまった二人だったが、
相性は悪くなかった。
まだ水木が水だけで命をつないでいたころから、
鉢植えで新芽を出すまで、
振り返ると意外に長かったが、
水木の新芽のように、何かが二人の間に育ちつつある。
「じゃあ、いってくっから。」
「いってらっしゃい。
帰りに電車に飛び込まないでね。」
「大丈夫だよ。俺ビビリだから。
そういう勇気あることできない。
リスカくりかえしてためらい傷だらけになってまだ死ねない、
みたいな。そんなだろ。
叔父貴もそうだった。」
「…加也は叔父さんじゃないよ。」
「…わかってる。」
昨晩は星がきれいだった。
放射冷却というやつだろう、今朝は寒い。
早弥は加也にマフラーを巻いてやり、
そっと背中を叩いてやった。
加也は手を振って、
青空のもと、病院へ向かった。
更新日:2012-02-05 18:56:54