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「心配しなくても大丈夫さ。なりは怖いが、気のいい奴らだよ」
立ち竦む私の肩を押したのは、ここまでつれて来てくれた男性だった。彼に促されて畳の上に座ったが、いたたまれない。笠もないから、表情が丸見えなのが怖い。
誰と視線を合わせる勇気もなくて、きちんと合わせた膝の上に置く縛られたままの自分の手を見つめる。
ああ。手甲もつけたままなんだな、私。
手甲と呼ばれる手の甲を覆う布はもちろん、足のすねを覆う脚絆も付けたままだ。昨夜飛ばされてしまった笠と、取り上げられた合羽はないけれど、それ以外は京に入った時の旅装束のまんまだった。
ううん。大切な守り刀の小太刀も取り上げられたままだ。
武器なんだから当然といえば当然だけど、旅の間ずっと心の支えにしてきた大切なものだっただけに手に触れるところにないとひどく心もとない。
「おはよう。昨夜はよく眠れた?」
と、昨夜聞いた声のひとつが耳に飛び込んでくる。この愉快そうな喋り方。聞き覚えがあると顔を上げてみれば、切れ長の瞳の若い男性がにこりと笑いかけてきた。昨夜は暗くて顔もよく見えなかったが、多分、彼が沖田。沖田総司。
彼が身にまとうのは、茶と黒の色使いをした、いわゆる「雀色」の着物。江戸では粋な着こなしの代表的な色使いであり、そんな伊達な着物をさらりと着流して、総髪にゆるく髷を結った姿は江戸の粋をそのまま表現したファッションだといえた。
で、それが似合っている。
少しも嫌味がなくて、スマートに着こなしている。彼が東国でどれだけもてていたかを思わせるに足る居住まいだった。
だけども彼が内包する得体の知れない殺気はちっとも薄らいでいなかった。
私が黙っていると、短い沈黙が場を包む。彼は返事を待っている。返事をする気力なんてなかったけど、まっすぐにこっちを見るその圧力に負けて、いいえ、と首を横に振って答えに代えた。
「ふうん、そうなんだ。さっき僕が声を掛けた時には君、全然起きてくれなかったけど?」
え?
ま、全く寝ていないとは言わないけど、そんなに爆睡していたなんて思いもせず・・・!
思わず頬が熱くなった時、
「からかわれているだけだ。総司はお前の部屋になんか行っちゃいない」
え?
「もう少し、君の反応を見たかったんだけどな。斎藤君もひどいよね、勝手にばらすなんてさ」
え?
え?
な、なに。私、またからかわれた・・・?
昨夜に引き続き一度ならず二度までも。なんだか怒るよりも情けなくなってがっくりと肩を落としてしまう。
私に助け舟を出してくれた男性の短いため息が耳に付いた。
斎藤君と呼ばれた彼は、よく通る綺麗な声に似合う涼しげな瞳を持つ、黒い着流しに白いストールを巻いた男性だった。そう、昨夜、私の命を救ってくれたあの人だ。
斎藤・・・
ああ、そう。斎藤一。
思い出した。新撰組でも一、二を争う剣の使い手で、左利き。そして、居合いの達人だ。
昨夜は気付かなかったけれど、闇色の長い髪をひとつに束ねて胸の前にたらしていた。その服といい、闇色のイメージがとても良く似合う人だった。
「おいてめぇら。無駄口ばっか叩いてんじゃねぇよ」
この声は土方。
新選組、鬼の副長といわれる土方・・・えっと、そう、歳三。土方歳三。
昨日と同じ声に瞳を上げてみると、やっぱりそうだ。あの夜闇の中でもはっきりと窺い知れた強い瞳の色が同じ、黒くて長い纏め髪が細く肩にかかる男の姿があった。
ぴんと伸ばした背筋と、細身に見える体をきっちりと包む藤色の着物に袴。腕を組んで正座をしたその姿は、きっと几帳面なんだろうその性格を表していると思われる。圧されるような雰囲気を感じるのは、不機嫌そうにひそめられた眉のせいだ。
昨日から思っていた。この人はずっと不機嫌そうで、ずっと怒っている感じだった。そしてそれが誰かに似てると思い、視線が外せない。
だけどもそれが誰の事か思い出す前に。
「でさ土方さん。そいつが、目撃者?」
若い声が耳を差す。
「ちっちゃいし細っこいなぁ。まだがきじゃん、こいつ」
「お前がガキとか言うなよ、平助」
「だな。世間様から見りゃ、お前もこいつも似たようなもんだろうよ」
「うるっさいなぁ。おじさん二人は黙ってなよ」
視線を少し横に動かせば、壁際に膝を寄せて座る三人の男性が私の方を見ながら、雑談に似た会話をしている姿が目に入った。
立ち竦む私の肩を押したのは、ここまでつれて来てくれた男性だった。彼に促されて畳の上に座ったが、いたたまれない。笠もないから、表情が丸見えなのが怖い。
誰と視線を合わせる勇気もなくて、きちんと合わせた膝の上に置く縛られたままの自分の手を見つめる。
ああ。手甲もつけたままなんだな、私。
手甲と呼ばれる手の甲を覆う布はもちろん、足のすねを覆う脚絆も付けたままだ。昨夜飛ばされてしまった笠と、取り上げられた合羽はないけれど、それ以外は京に入った時の旅装束のまんまだった。
ううん。大切な守り刀の小太刀も取り上げられたままだ。
武器なんだから当然といえば当然だけど、旅の間ずっと心の支えにしてきた大切なものだっただけに手に触れるところにないとひどく心もとない。
「おはよう。昨夜はよく眠れた?」
と、昨夜聞いた声のひとつが耳に飛び込んでくる。この愉快そうな喋り方。聞き覚えがあると顔を上げてみれば、切れ長の瞳の若い男性がにこりと笑いかけてきた。昨夜は暗くて顔もよく見えなかったが、多分、彼が沖田。沖田総司。
彼が身にまとうのは、茶と黒の色使いをした、いわゆる「雀色」の着物。江戸では粋な着こなしの代表的な色使いであり、そんな伊達な着物をさらりと着流して、総髪にゆるく髷を結った姿は江戸の粋をそのまま表現したファッションだといえた。
で、それが似合っている。
少しも嫌味がなくて、スマートに着こなしている。彼が東国でどれだけもてていたかを思わせるに足る居住まいだった。
だけども彼が内包する得体の知れない殺気はちっとも薄らいでいなかった。
私が黙っていると、短い沈黙が場を包む。彼は返事を待っている。返事をする気力なんてなかったけど、まっすぐにこっちを見るその圧力に負けて、いいえ、と首を横に振って答えに代えた。
「ふうん、そうなんだ。さっき僕が声を掛けた時には君、全然起きてくれなかったけど?」
え?
ま、全く寝ていないとは言わないけど、そんなに爆睡していたなんて思いもせず・・・!
思わず頬が熱くなった時、
「からかわれているだけだ。総司はお前の部屋になんか行っちゃいない」
え?
「もう少し、君の反応を見たかったんだけどな。斎藤君もひどいよね、勝手にばらすなんてさ」
え?
え?
な、なに。私、またからかわれた・・・?
昨夜に引き続き一度ならず二度までも。なんだか怒るよりも情けなくなってがっくりと肩を落としてしまう。
私に助け舟を出してくれた男性の短いため息が耳に付いた。
斎藤君と呼ばれた彼は、よく通る綺麗な声に似合う涼しげな瞳を持つ、黒い着流しに白いストールを巻いた男性だった。そう、昨夜、私の命を救ってくれたあの人だ。
斎藤・・・
ああ、そう。斎藤一。
思い出した。新撰組でも一、二を争う剣の使い手で、左利き。そして、居合いの達人だ。
昨夜は気付かなかったけれど、闇色の長い髪をひとつに束ねて胸の前にたらしていた。その服といい、闇色のイメージがとても良く似合う人だった。
「おいてめぇら。無駄口ばっか叩いてんじゃねぇよ」
この声は土方。
新選組、鬼の副長といわれる土方・・・えっと、そう、歳三。土方歳三。
昨日と同じ声に瞳を上げてみると、やっぱりそうだ。あの夜闇の中でもはっきりと窺い知れた強い瞳の色が同じ、黒くて長い纏め髪が細く肩にかかる男の姿があった。
ぴんと伸ばした背筋と、細身に見える体をきっちりと包む藤色の着物に袴。腕を組んで正座をしたその姿は、きっと几帳面なんだろうその性格を表していると思われる。圧されるような雰囲気を感じるのは、不機嫌そうにひそめられた眉のせいだ。
昨日から思っていた。この人はずっと不機嫌そうで、ずっと怒っている感じだった。そしてそれが誰かに似てると思い、視線が外せない。
だけどもそれが誰の事か思い出す前に。
「でさ土方さん。そいつが、目撃者?」
若い声が耳を差す。
「ちっちゃいし細っこいなぁ。まだがきじゃん、こいつ」
「お前がガキとか言うなよ、平助」
「だな。世間様から見りゃ、お前もこいつも似たようなもんだろうよ」
「うるっさいなぁ。おじさん二人は黙ってなよ」
視線を少し横に動かせば、壁際に膝を寄せて座る三人の男性が私の方を見ながら、雑談に似た会話をしている姿が目に入った。
更新日:2012-02-08 21:48:29