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第二部    慶応元年五月   ~ジャスティス~


 季節はうつろい、水は緩み、いつしか世界は春を迎え、春を越え、時には初夏を思わせる日差しを肌に感じるようになっていった。

 土方さんの宣言どおり、屯所は広い西本願寺に移転し、今でも夢に見るあの恐ろしい夜から三ヶ月が過ぎようとしている。


 ツバメが鋭い軌跡を残す青空の下を歩き、私は境内の裏手へと入り込む。普段は人が訪れない寂しい一角であり、だからこそ、この場所を隠遁生活に選ばざるを得なかった人に会う為に。

 雀の声と木々をそよがす風の音しか聞こえない場所。そんな寂しい場所の更に薄暗い一角に腰掛けた人物の姿を見つけると、

「サンナンさん、食事の準備が出来ました」

 私は声を掛けた。
 その人は。
 ううん。厳密に言うと人ではないその存在は、顔を上げ、とても穏やかな微笑を返してくれた。

「ああ、君でしたか。ありがとう」

 サンナンさん。

 新選組のもと総長であり、大幹部たちの、なくてはならない大切な仲間。
 そして、人である事を自ら望んで止め、その為にこんな場所で人目を避けて過ごさなくてはならなくなった人。

 その微笑に私は笑顔を返し、彼が見ていた青い空に視線を移した。

 綺麗な空。

 綺麗な雲。

「風が暖かくなってきましたね。日差しも強くなってきて、夏が近いんだって事を思い知らされます」
「そうですね。日差しも本当に、強くなってきました」
「・・・辛いですか?」
「ええまぁ。癇に障らないと言えば嘘になりますが、ですがあなたがそんな顔をする必要はないのですよ」
「あ。え? あ、あの、すみません・・・」

 自分がどんな顔をしていたのか分からないけど、分らないままに謝ると、彼は偽りのない明るい笑顔で返してくれた。

 サンナンさんは父様の開発した薬を飲んだ為に人間とは違う存在になってしまった。たとえそれがサンナンさんの選択だったとしても、私としては気にしないわけにもいかない。

 意識してなかったけど、知らず暗い顔をしてしまっていたんだろう。そして賢いサンナンさんは、私の心に負荷を掛けないようにと、優しい言葉を与えてくれるんだ。

 でもそれが辛くて、私はぺこりと頭を下げてその場を後にした。

 ふと振り返ってみれば、光の加減なんだろう、彼の髪があの夜のように真っ白に見えて、背筋が凍った。

 そして怖いと思った自分がとても悪い子のように思えて、胸が痛んだ。

更新日:2012-05-27 22:51:30

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