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文久三年十二月
ちゅんと雀が鳴いた。
暁光が世界を染めるにはまだ早い時刻、それでも明るさを増してゆく外の色を映す淡いブルーの障子には、縁側に降り立つ雀の姿が映し出された。
懐かしい夢を見た私は、現実と夢の狭間とでどっちつかずのふわふわとした気持ちを持て余し、呆っとした何にもない時間を過ごす。
肩が痛い。
寝返りをうとうとして身体が動かないことに気付き、それから少しずつ現実の世界、私の置かれている状況を思い出してゆく。
・・・ため息すら、つくことは許されていなかった。抽象的な意味ではなく、口にはさるぐつわは咬まされていたから。
ああ。これは本当に、現実なんだ。
昨夜の悪夢のような出来事は悪夢で終わらなかった。私、あの後新選組の人たちの住処に連れて来られて、有無を言わせずにお布団でぐるぐると簀巻きにされて誰も居ない部屋の中に放り込まれた。
簀巻きなんて・・・
見るのも初めてなら体験する事なんてもちろん初めて。最低で最悪の珍しい体験に心が折れそうなくらいどっぷりと落ち込んでいると、外で自由に飛びまわる雀さえもうらやましくなってどんどん惨めな気分に嵌っていく。
落ち込む事も生きていればこそ、なんて、思えばいいのかしら。だけど嬉しくない。今は生きていても彼らの気まぐれ次第で五分後には首を落とされている可能性があるんだもの。
うう・・・ 縁起でもない。
昨夜の生臭い血の匂いを思い出して全身が震えた。
それにしても、こんな状況で少しでも眠れるなんて、私って度胸があるなぁ。確かに疲れていたとは思うけど、まさか本当に眠っちゃうなんて思ってもみなかった。
・・・雀の声。
もっと聞きたくなって身じろぎをすると、
「ああ、目が覚めたかい?」
不意に後ろから聞こえてきた声にびくんと肩が震えた。
襖の閉じる音がする。そして静かな衣擦れとともに私の視界に現れたのは私の知らないお侍様。昨夜の人たちではない男の人。彼らとは身にまとう雰囲気の全く違う穏やかな瞳の人だった。
彼は、多分私を怖がらせないようにだと思う、私にちゃんと姿を見せてから、猿ぐつわを、簀巻きの布団を縛る縄を解いていった。
「すまんなぁこんな扱いで。今朝から幹部連中であんたについて話し合っているんだが、あんたが何を見たのか確かめておきたいって事になってね、ちょっと来てくれるかい?」
声だけではなくてその表情もやわらかい。その人柄をしのばせる温かいものだけれども、表現を変えたって言っている内容に変わりはないんだろう。私には、選択権などない。
布団を外されると、今度は外気の冷たさにぶるんと体が震えた。旅装束の私は必要以上に厚着をしていないし、その冷たさは寝起きということを差し置いても身にしみる。これから詰問されるであろう事、昨夜の事を思い出してもまた震えが走った。
手首を縛る縄の端を彼が持つ。ゆっくりと立ち上がって、歩こうと思い、わらじを履いたままだったことに気付いて、もたもたとそれを自分で解いた。
正体を伏せろ。
見られちゃったんだから殺しちゃいましょうよ。
現場を離れましょう。
昨夜の彼らの会話が唐突に思い起こされる。私の処遇について話し合っている? 話し合うような余地はあるのだろうか。
運のねぇ奴だ。
ぽっと頭に浮かんだ言葉は昨夜、土方と言う男が私に漏らした言葉だった。多分、それが一番的を得ているんだろう。いずれにしても、今の私に逃げるという選択肢はないのだから大人しく詰問の場所に行くしかない。
はぁ。
ため息をつくと、今度は猿ぐつわに邪魔されることなく白い息が目の前に現れた。
そんな事にも小さく感動しながら、私、まるで罪人のように縄に引かれて狭い廊下を歩いて行った。
新選組の京都での事務所――屯所、だっけ? それは都の外れの壬生村にあると聞いた事がある。もちろん、かつて私が住んでいた世界での話だけど。壬生の狼。すなわち壬生狼。そう呼ばれていたらしいから。
今私を引き連れて歩くこの人からはそんな気配を感じないけど、昨夜のあの人たちにはそう呼ばれても違和感のない雰囲気を感じた。というより、彼らと出会い、斬りつけられるような鋭い殺気を浴びてそんな話を思い出したのだった。
そして案内されるひとつの部屋。
襖が開かれ、中に入れられるとその瞬間、好奇を含んだたくさんの鋭い視線にさらされ――再び「壬生の狼」という単語を口の中で反芻する。
なんで。
ここの人たちってこんなにも怖い。
ちゅんと雀が鳴いた。
暁光が世界を染めるにはまだ早い時刻、それでも明るさを増してゆく外の色を映す淡いブルーの障子には、縁側に降り立つ雀の姿が映し出された。
懐かしい夢を見た私は、現実と夢の狭間とでどっちつかずのふわふわとした気持ちを持て余し、呆っとした何にもない時間を過ごす。
肩が痛い。
寝返りをうとうとして身体が動かないことに気付き、それから少しずつ現実の世界、私の置かれている状況を思い出してゆく。
・・・ため息すら、つくことは許されていなかった。抽象的な意味ではなく、口にはさるぐつわは咬まされていたから。
ああ。これは本当に、現実なんだ。
昨夜の悪夢のような出来事は悪夢で終わらなかった。私、あの後新選組の人たちの住処に連れて来られて、有無を言わせずにお布団でぐるぐると簀巻きにされて誰も居ない部屋の中に放り込まれた。
簀巻きなんて・・・
見るのも初めてなら体験する事なんてもちろん初めて。最低で最悪の珍しい体験に心が折れそうなくらいどっぷりと落ち込んでいると、外で自由に飛びまわる雀さえもうらやましくなってどんどん惨めな気分に嵌っていく。
落ち込む事も生きていればこそ、なんて、思えばいいのかしら。だけど嬉しくない。今は生きていても彼らの気まぐれ次第で五分後には首を落とされている可能性があるんだもの。
うう・・・ 縁起でもない。
昨夜の生臭い血の匂いを思い出して全身が震えた。
それにしても、こんな状況で少しでも眠れるなんて、私って度胸があるなぁ。確かに疲れていたとは思うけど、まさか本当に眠っちゃうなんて思ってもみなかった。
・・・雀の声。
もっと聞きたくなって身じろぎをすると、
「ああ、目が覚めたかい?」
不意に後ろから聞こえてきた声にびくんと肩が震えた。
襖の閉じる音がする。そして静かな衣擦れとともに私の視界に現れたのは私の知らないお侍様。昨夜の人たちではない男の人。彼らとは身にまとう雰囲気の全く違う穏やかな瞳の人だった。
彼は、多分私を怖がらせないようにだと思う、私にちゃんと姿を見せてから、猿ぐつわを、簀巻きの布団を縛る縄を解いていった。
「すまんなぁこんな扱いで。今朝から幹部連中であんたについて話し合っているんだが、あんたが何を見たのか確かめておきたいって事になってね、ちょっと来てくれるかい?」
声だけではなくてその表情もやわらかい。その人柄をしのばせる温かいものだけれども、表現を変えたって言っている内容に変わりはないんだろう。私には、選択権などない。
布団を外されると、今度は外気の冷たさにぶるんと体が震えた。旅装束の私は必要以上に厚着をしていないし、その冷たさは寝起きということを差し置いても身にしみる。これから詰問されるであろう事、昨夜の事を思い出してもまた震えが走った。
手首を縛る縄の端を彼が持つ。ゆっくりと立ち上がって、歩こうと思い、わらじを履いたままだったことに気付いて、もたもたとそれを自分で解いた。
正体を伏せろ。
見られちゃったんだから殺しちゃいましょうよ。
現場を離れましょう。
昨夜の彼らの会話が唐突に思い起こされる。私の処遇について話し合っている? 話し合うような余地はあるのだろうか。
運のねぇ奴だ。
ぽっと頭に浮かんだ言葉は昨夜、土方と言う男が私に漏らした言葉だった。多分、それが一番的を得ているんだろう。いずれにしても、今の私に逃げるという選択肢はないのだから大人しく詰問の場所に行くしかない。
はぁ。
ため息をつくと、今度は猿ぐつわに邪魔されることなく白い息が目の前に現れた。
そんな事にも小さく感動しながら、私、まるで罪人のように縄に引かれて狭い廊下を歩いて行った。
新選組の京都での事務所――屯所、だっけ? それは都の外れの壬生村にあると聞いた事がある。もちろん、かつて私が住んでいた世界での話だけど。壬生の狼。すなわち壬生狼。そう呼ばれていたらしいから。
今私を引き連れて歩くこの人からはそんな気配を感じないけど、昨夜のあの人たちにはそう呼ばれても違和感のない雰囲気を感じた。というより、彼らと出会い、斬りつけられるような鋭い殺気を浴びてそんな話を思い出したのだった。
そして案内されるひとつの部屋。
襖が開かれ、中に入れられるとその瞬間、好奇を含んだたくさんの鋭い視線にさらされ――再び「壬生の狼」という単語を口の中で反芻する。
なんで。
ここの人たちってこんなにも怖い。
更新日:2012-02-08 21:40:01