- 67 / 189 ページ
伊東甲子太郎。
ここで与えられた地位は参謀。
江戸は深川佐賀町に道場を構えていた人物だと聞いている。道場主という事で近藤局長と気が合うのか、意見が合うのか、あるいはその立場を慮ってか・・・私はよく知らないけど、入ってすぐに参謀という大幹部の地位を得た人物だった。
ただ・・・
「さすがは近藤局長ですねぇ。敵方へまで配慮なさるなど懐が深い」
「む? そう言われるのはありがたいが、俺など浅慮もいいところですよ」
「・・・・・・・・・」
ど、どんだけぇ・・・
思わず心の中で呟く私と、素直に照れる近藤さん。そして近藤さんのそんな様子を見て、それぞれに顔をしかめる土方さんと沖田さん。
彼らは、ううん、彼らだけじゃない。伊東さんたちが来てから古参と呼ばれるようになった幹部の皆さんは、こんな風に眉をひそめて顔をしかめる事が多くなっていた。
皆さんは、私が見てもはっきりと分かるくらいに伊東さんたちが好きじゃない。好きじゃないという事を隠そうともしていない。
巧言令色少なし仁、か。
そんな様子を見ていると、手習指南所や素読指南で教えてもらった格言をよく思い出すようになっていた。
そもそも、伊東さんは尊王攘夷の思想を持つ人だという。それは、はからずしも長州の人たちと同じ思想で、佐幕攘夷を掲げる新選組とは一線を画すものだともいう。
攘夷の面で近藤さんと意見が合意したんだろうよ、と前に、土方さんが苦い薬を飲んだ時のような顔をしながら言ったけれども、本当のところは本人に聞かなきゃ分からないと思う。土方さんもその事は分っているみたいだけど、ただ、話し掛ける気にもならないらしくて。
意外と、ナイーブなところのある人なんだと知った。
運動会や文化祭を一緒に頑張ってきた仲のいいクラスに、突然転校生が来たようなものなのかな。その転校生は先生が心酔するくらい優秀で、更にいつもたくさんの取り巻きを連れて歩いていて、って感じなのかな。
気分は・・・良くないよね、やっぱ。
だけど、彼らがこんなにもこの人の事を嫌うのには、それ以外にももっと大きな理由があった。
実はサンナンさんが、江戸に居た時からこの人とは面識があったらしく、彼の事を、学識も高く弁舌に優れた方ですよ、と語り、
「・・・秀でた参謀の加入で、ついに総長はお役御免というわけですね。伊東さんさえいてくれれば、私がここでなすべき事も残りわずかだ」
独り言のような呟きを低く洩らした事があった。
それが、初めて伊東さん達を紹介された時の事。その時の彼の暗い瞳は、きっと、皆さんの胸にも暗い影を落としたんだ。だから、みんなして、伊東さんの事は嫌いなんだ。
だけどこの人は、平助くんを仲立ちに新選組と縁を結んだと聞いている。だったらそんなに悪い人じゃないんじゃないかって、私なんかは思いたくなるんだけど。
・・・もしもいま平助くんが帰って来て、この新選組の状況を見たらどう思うだろう。そう考えると、私も気が重くなった。
そんな事情を知ってかしらずか、伊東さんは、屯所移転案に異を唱えたサンナンさんを見て、満面の笑みを浮かべていた。
「サンナンさんは相変わらず大変に考えの深い方ですわねぇ。左腕は使い物にならないそうですが、それも些細な問題ではないかしら?」
ぴしり。
空気に亀裂が入ったような緊張感が部屋を走る。
「剣客としては生きていけずとも、お気になさる事はありませんわ。サンナンさんはその才覚と深慮で、新選組と私を充分に助けてくれそうですもの」
「伊東さん。今のはどういう意味だ」
土方さんの低く轟くような声が伊東さんの言葉を絶つ。そして、研ぎ澄まされた刃のように鋭い気を放つ言葉をためらいもなく発言主に向ける。
「あんたの言うように、サンナンさんは優秀な論客だ。けどな、剣客としても、この新選組に必要な人間なんだよ!」
「ですが、私の腕は・・・」
殺気すらこもった突きつける言葉に、しかし、低い呟きを返したのはサンナンさんだった。その暗い響きにはっと顔を上げた土方さん、この上なく苦々しい舌打ちをして、ぐっと口をつぐんだ。
間に挟まってきょんとした伊東さん、
「あら、私としたことが失礼致しました。その腕が治るのであればなによりですわ」
・・・にっこりと微笑んで、謝罪する。
謝罪・・・
治るのであれば何より、か。サンナンさんにとってはそれもまた辛い言葉じゃないだろうか。
サンナンさんは黙ってうつむいた。そして土方さんは、滅多にやらかさない失態をよりによってこんな形でやらかしてしまった事に、悔しさで肩を震わせながら視線を逸らして、顔をゆがめた。
ここで与えられた地位は参謀。
江戸は深川佐賀町に道場を構えていた人物だと聞いている。道場主という事で近藤局長と気が合うのか、意見が合うのか、あるいはその立場を慮ってか・・・私はよく知らないけど、入ってすぐに参謀という大幹部の地位を得た人物だった。
ただ・・・
「さすがは近藤局長ですねぇ。敵方へまで配慮なさるなど懐が深い」
「む? そう言われるのはありがたいが、俺など浅慮もいいところですよ」
「・・・・・・・・・」
ど、どんだけぇ・・・
思わず心の中で呟く私と、素直に照れる近藤さん。そして近藤さんのそんな様子を見て、それぞれに顔をしかめる土方さんと沖田さん。
彼らは、ううん、彼らだけじゃない。伊東さんたちが来てから古参と呼ばれるようになった幹部の皆さんは、こんな風に眉をひそめて顔をしかめる事が多くなっていた。
皆さんは、私が見てもはっきりと分かるくらいに伊東さんたちが好きじゃない。好きじゃないという事を隠そうともしていない。
巧言令色少なし仁、か。
そんな様子を見ていると、手習指南所や素読指南で教えてもらった格言をよく思い出すようになっていた。
そもそも、伊東さんは尊王攘夷の思想を持つ人だという。それは、はからずしも長州の人たちと同じ思想で、佐幕攘夷を掲げる新選組とは一線を画すものだともいう。
攘夷の面で近藤さんと意見が合意したんだろうよ、と前に、土方さんが苦い薬を飲んだ時のような顔をしながら言ったけれども、本当のところは本人に聞かなきゃ分からないと思う。土方さんもその事は分っているみたいだけど、ただ、話し掛ける気にもならないらしくて。
意外と、ナイーブなところのある人なんだと知った。
運動会や文化祭を一緒に頑張ってきた仲のいいクラスに、突然転校生が来たようなものなのかな。その転校生は先生が心酔するくらい優秀で、更にいつもたくさんの取り巻きを連れて歩いていて、って感じなのかな。
気分は・・・良くないよね、やっぱ。
だけど、彼らがこんなにもこの人の事を嫌うのには、それ以外にももっと大きな理由があった。
実はサンナンさんが、江戸に居た時からこの人とは面識があったらしく、彼の事を、学識も高く弁舌に優れた方ですよ、と語り、
「・・・秀でた参謀の加入で、ついに総長はお役御免というわけですね。伊東さんさえいてくれれば、私がここでなすべき事も残りわずかだ」
独り言のような呟きを低く洩らした事があった。
それが、初めて伊東さん達を紹介された時の事。その時の彼の暗い瞳は、きっと、皆さんの胸にも暗い影を落としたんだ。だから、みんなして、伊東さんの事は嫌いなんだ。
だけどこの人は、平助くんを仲立ちに新選組と縁を結んだと聞いている。だったらそんなに悪い人じゃないんじゃないかって、私なんかは思いたくなるんだけど。
・・・もしもいま平助くんが帰って来て、この新選組の状況を見たらどう思うだろう。そう考えると、私も気が重くなった。
そんな事情を知ってかしらずか、伊東さんは、屯所移転案に異を唱えたサンナンさんを見て、満面の笑みを浮かべていた。
「サンナンさんは相変わらず大変に考えの深い方ですわねぇ。左腕は使い物にならないそうですが、それも些細な問題ではないかしら?」
ぴしり。
空気に亀裂が入ったような緊張感が部屋を走る。
「剣客としては生きていけずとも、お気になさる事はありませんわ。サンナンさんはその才覚と深慮で、新選組と私を充分に助けてくれそうですもの」
「伊東さん。今のはどういう意味だ」
土方さんの低く轟くような声が伊東さんの言葉を絶つ。そして、研ぎ澄まされた刃のように鋭い気を放つ言葉をためらいもなく発言主に向ける。
「あんたの言うように、サンナンさんは優秀な論客だ。けどな、剣客としても、この新選組に必要な人間なんだよ!」
「ですが、私の腕は・・・」
殺気すらこもった突きつける言葉に、しかし、低い呟きを返したのはサンナンさんだった。その暗い響きにはっと顔を上げた土方さん、この上なく苦々しい舌打ちをして、ぐっと口をつぐんだ。
間に挟まってきょんとした伊東さん、
「あら、私としたことが失礼致しました。その腕が治るのであればなによりですわ」
・・・にっこりと微笑んで、謝罪する。
謝罪・・・
治るのであれば何より、か。サンナンさんにとってはそれもまた辛い言葉じゃないだろうか。
サンナンさんは黙ってうつむいた。そして土方さんは、滅多にやらかさない失態をよりによってこんな形でやらかしてしまった事に、悔しさで肩を震わせながら視線を逸らして、顔をゆがめた。
更新日:2012-05-26 06:43:46