- 66 / 189 ページ
第二部 元治二年二月 ~予感~
そうして平助くんは江戸へと旅立ち、私はちょっと淋しい気持ちを胸にその背中を見送る。
それが、私が新選組に来てから十ヶ月を過ぎたころの出来事だった。そう、色んな事がありすぎて振り返る暇もなかったけど、今、改めて思うと、あの夜からもうそんなに経っちゃったんだと感慨深くなる。
それから更に時は過ぎ、新しい年を迎えて時は元治二年の二月。
平助くんはまだ帰ってこないし、私は未だに監視付きの生活で外を自由に出歩く事も出来ないけど、不思議なもので、この生活にもすっかり馴染んじゃって、たとえば今、朝食の後の熱いお茶を配って回るのだって手馴れたもの、井上さんにもお茶がうまいと言って褒めてもらっている。
小さな事だけど、それが嬉しい。
そして私が笑うと、原田さんや永倉さんも嬉しそうに笑ってくれる。
大それた事だけど、そんな日常の事で私はここに自分の居場所を見つけたような気になっていた。
平助くんが抜けて、静か過ぎる朝ごはんにも慣れたとても寒い日の朝、彼に先駆けて昨年の末に新規隊士を引き連れて戻ってきた近藤さんと、その隊士達の代表の方と朝食を共にした後のまったりとした時間の事だった。
「八木さん達にも世話になったが、この屯所もそろそろ手狭になってきたか」
土方さんがポツリと呟いた。
その言葉を聞いて、最初に声を出したのは、永倉さんだった。
「まぁ。確かに狭くなったなぁ。隊士の数も増えてきたし。広い所に移れるなら、それがいいんだけどな。雑魚寝している連中、かなり辛そうだ」
う。
やむをえない事情があるとはいえ、個室を使っている私は後ろめたくて顔を伏せてしまう。
「だけど、」
沖田さんの声がした。
「僕たち新選組を受け入れてくれる場所なんて、何か心当たりでもあるんですか?」
「西本願寺」
「・・・・・・・・・」
この話を唐突に始めた時と同じ口調で土方さんが告げると、一瞬、部屋の中が凍りついた。その意味を図りかねて私が顔を上げた時、ふいに、沖田さんの軽やかな笑い声が耳を打つ。
「あはははは! それ、絶対嫌がられるじゃないですか! まぁ、反対も強引に押し切るつもりなら、それはそれで土方さんらしいですけど」
「確かにあの寺なら十分広いな。ま、坊主どもは嫌がるだろうが」
「嫌がる・・・ん、ですか? 立地的には良いと思うんですけど」
原田さんの呟きのような言葉につい反応してしまう私。
西本願寺は「市中」にある。対して今の屯所がある壬生は京の外れ、外れというか、もうすでに「壬生村」という名前の村で、日常の巡察にも不便な場所だった。
原田さんは、苦笑というにはちょっと面白そうな顔でうーんと呟きをもらす。
「確かに、西本願寺からならいざという時にも動きやすいよな」
「西本願寺は長州に協力的だ。何度か浪士をかくまっていた事もある」
淡々とした声に振り返ると、斎藤さんがいつものように静かな居住まいでお茶をすすっていた。
「向こうの同意を得るのは決して容易な事ではないだろう」
「はい」
「しかし、我々が西本願寺に移転すれば、長州は身を隠す場所をひとつ失う事になる」
「あ」
なるほど。
嫌がらせという名の長州浪人対策のひとつでも、ある。思わず、斎藤さんの口調を真似て心の中で呟いてみる。
さすが土方さん。そういういやらしい行為を思いつくのは彼をおいて他にいない。
・・・褒めてるのかな、これ。
その時、サンナンさんが口を開いた。
「僧侶の動きを武力で押さえつけるなど、見苦しいとは思いませんか」
「寺と坊さんを隠れ蓑にして、今まで好き勝手してきたのは長州だろ」
「過激な浪士を押さえる必要がある。その点に関しては、同意しますが・・・」
たしなめる、というよりは苛立ちの隠せない口調で告げるサンナンさんに対し、土方さんは、まさしくたしなめるような声音で答えた。苦い顔をしてはいるけれども、サンナンさんもそれ以上苦言を続けない。彼も結局はその方法が最善だと思っているのだろう。
短い沈黙が降りる。
それ以上意見が出ないのを見て、近藤さんが口を開いた。
「トシの意見はもっともだが、サンナン君の考えも一理あるなぁ」
即決はしない。
局長の決定、すなわち、隊の方針は持ち越される。と、いう意味。彼らとの付き合いが長くなるにつれの、近藤さんの発言にどういう意味があるのか、私にも分かるようになっていた。
と、その時、上座の、しかも近藤さんの隣を陣取っている一人の人物が口を開いた。彼こそが、今回、江戸から連れて来られた新規の隊士達を率いるリーダーだった。
それが、私が新選組に来てから十ヶ月を過ぎたころの出来事だった。そう、色んな事がありすぎて振り返る暇もなかったけど、今、改めて思うと、あの夜からもうそんなに経っちゃったんだと感慨深くなる。
それから更に時は過ぎ、新しい年を迎えて時は元治二年の二月。
平助くんはまだ帰ってこないし、私は未だに監視付きの生活で外を自由に出歩く事も出来ないけど、不思議なもので、この生活にもすっかり馴染んじゃって、たとえば今、朝食の後の熱いお茶を配って回るのだって手馴れたもの、井上さんにもお茶がうまいと言って褒めてもらっている。
小さな事だけど、それが嬉しい。
そして私が笑うと、原田さんや永倉さんも嬉しそうに笑ってくれる。
大それた事だけど、そんな日常の事で私はここに自分の居場所を見つけたような気になっていた。
平助くんが抜けて、静か過ぎる朝ごはんにも慣れたとても寒い日の朝、彼に先駆けて昨年の末に新規隊士を引き連れて戻ってきた近藤さんと、その隊士達の代表の方と朝食を共にした後のまったりとした時間の事だった。
「八木さん達にも世話になったが、この屯所もそろそろ手狭になってきたか」
土方さんがポツリと呟いた。
その言葉を聞いて、最初に声を出したのは、永倉さんだった。
「まぁ。確かに狭くなったなぁ。隊士の数も増えてきたし。広い所に移れるなら、それがいいんだけどな。雑魚寝している連中、かなり辛そうだ」
う。
やむをえない事情があるとはいえ、個室を使っている私は後ろめたくて顔を伏せてしまう。
「だけど、」
沖田さんの声がした。
「僕たち新選組を受け入れてくれる場所なんて、何か心当たりでもあるんですか?」
「西本願寺」
「・・・・・・・・・」
この話を唐突に始めた時と同じ口調で土方さんが告げると、一瞬、部屋の中が凍りついた。その意味を図りかねて私が顔を上げた時、ふいに、沖田さんの軽やかな笑い声が耳を打つ。
「あはははは! それ、絶対嫌がられるじゃないですか! まぁ、反対も強引に押し切るつもりなら、それはそれで土方さんらしいですけど」
「確かにあの寺なら十分広いな。ま、坊主どもは嫌がるだろうが」
「嫌がる・・・ん、ですか? 立地的には良いと思うんですけど」
原田さんの呟きのような言葉につい反応してしまう私。
西本願寺は「市中」にある。対して今の屯所がある壬生は京の外れ、外れというか、もうすでに「壬生村」という名前の村で、日常の巡察にも不便な場所だった。
原田さんは、苦笑というにはちょっと面白そうな顔でうーんと呟きをもらす。
「確かに、西本願寺からならいざという時にも動きやすいよな」
「西本願寺は長州に協力的だ。何度か浪士をかくまっていた事もある」
淡々とした声に振り返ると、斎藤さんがいつものように静かな居住まいでお茶をすすっていた。
「向こうの同意を得るのは決して容易な事ではないだろう」
「はい」
「しかし、我々が西本願寺に移転すれば、長州は身を隠す場所をひとつ失う事になる」
「あ」
なるほど。
嫌がらせという名の長州浪人対策のひとつでも、ある。思わず、斎藤さんの口調を真似て心の中で呟いてみる。
さすが土方さん。そういういやらしい行為を思いつくのは彼をおいて他にいない。
・・・褒めてるのかな、これ。
その時、サンナンさんが口を開いた。
「僧侶の動きを武力で押さえつけるなど、見苦しいとは思いませんか」
「寺と坊さんを隠れ蓑にして、今まで好き勝手してきたのは長州だろ」
「過激な浪士を押さえる必要がある。その点に関しては、同意しますが・・・」
たしなめる、というよりは苛立ちの隠せない口調で告げるサンナンさんに対し、土方さんは、まさしくたしなめるような声音で答えた。苦い顔をしてはいるけれども、サンナンさんもそれ以上苦言を続けない。彼も結局はその方法が最善だと思っているのだろう。
短い沈黙が降りる。
それ以上意見が出ないのを見て、近藤さんが口を開いた。
「トシの意見はもっともだが、サンナン君の考えも一理あるなぁ」
即決はしない。
局長の決定、すなわち、隊の方針は持ち越される。と、いう意味。彼らとの付き合いが長くなるにつれの、近藤さんの発言にどういう意味があるのか、私にも分かるようになっていた。
と、その時、上座の、しかも近藤さんの隣を陣取っている一人の人物が口を開いた。彼こそが、今回、江戸から連れて来られた新規の隊士達を率いるリーダーだった。
更新日:2012-05-26 06:43:13