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「ねえ、ところでさ。助けてあげたのにお礼のひとつもないの?」

 ・・・まさしく降って湧いた、という感じだ。この声は、明らかに私に向いていると分かるのだけれど、何を言っているのか理解に戸惑って返答に詰まる。

 軽い口調の若い男の声だった。彼は冗談のように言ってみながらも、吹き付ける雰囲気は突きつけられる刃に似てとても鋭い。
 頭上を見上げてみたが、闇に閉ざされた瞳からはその真意を汲み取れなかった。
 それは、礼を言わなければこの場で切り捨てるという意味なんだろうか。素直にお礼を言えば、助けてあげると言っているのだろうか。

 まさか。そんなことはないよね。

 だとしたら、そうか。私、きっとからかわれているんだ。そう思うと、彼の事をひどい人だと思い、心のどこかで悲しい気持ちに襲われた。
 だけど、礼を言えと言われれば言わなくちゃいけないような気もした。だって、彼らが現れなければ私がそこに転がる骸の仲間入りをしていたことは事実だもの。

 考えて、考えて、私は小太刀を胸に頭を下げる。私に礼を言えと言った人でも、刃を突きつけて逃げるなと言った人にでもない、あの時、風のように颯爽と現れて私を助けてくれた、黒い着流しに白いストールを巻く最初の男性に、だ。

「・・・助けてくれて、有難うございます」
「・・・・・・」
 返事はない。代わりに、氷のように冷たい気配が降って来た。

 呆れさせたのかな。やっぱり。それも当然と言えば当然だと思う。こんなシチュエーションで、しかもこれから私の事を殺すだの殺さないだの言っている相手に礼を言って頭を下げるなんてどう考えても変。
 だけど、お礼を言わなくちゃいけないような気になったのもまた事実だもの。

 と、そんなその場の冷めた雰囲気を形にしたような重いため息が聞こえてきた。それは土方と呼ばれた男。彼らが話す会話をそのまま信じるなら、新選組の副長を務めている人の声だった。同時にからからと笑う声も響く。この笑い声は、私に礼を言えと言った人のものだった。

 その声が言葉を繋ぐ。

「ちょっと意趣返しをされた気がしないでもないけどね。まあいいや。どう致しまして。僕は沖田総司と言います。礼儀正しい子は嫌いじゃないよ」

 名乗られたら名乗り返すのが礼儀。
 今の彼の言葉を聞いて一番に思い浮かんだのはそんな、昔からある格言のような「常識」だった。だから、私も名を告げてご挨拶をするべきなのか一瞬悩んだけれども、その隙を突くように、土方という人の吐息が聞こえてくる。

「わざわざ自己紹介してんじゃねぇよ」
「副長、お気持ちは分かりますが、まずは移動を」

 ‘副長’さんのため息が肯定の意味に変わる。
 顔を上げると、その氷のような瞳と目が合い、私は促されるようにふらりと立ち上がった。

 手に持つ小太刀を沖田と名乗った男性が差し出す手に乗せる。彼は反対の手で私の手を引いて歩き始めた。

 沖田・・・

 沖田総司。

 その名前なら私も知っている。剣の天才だけど、結核と呼ばれる病気で死んでしまったという人だ。だけど今の彼はとても元気。その事が、何だか奇妙な感じで戸惑ってしまう。

 じっと見つめていると目が合った。
 思わず肩をびくつかせると、とてもにこやかに笑いかけられた。鋭い気配はそのままで。

 ふと血の匂いが濃くなった。見れば、私を窮地から救い出してくれた白いストールの男性が三つの骸から剥ぎ取った段だら模様の羽織を手に歩いていた。
 彼もまた氷のように冷ややかで鋭い気配をまとった人だ。新選組って、そういう人が集まる集団なのかな・・・

 ふと視線を向けて私の顔を見る彼、

「己の為に最悪を想定しておけ。さして良いようには転ばない」

 静かにトドメの言葉を突き立ててくる。

 逃げられない。逃がさない。今は殺さないかもしれないが状況が変わればいつでも斬り捨てる。つまりは、そう言っているのだと思う。

 そう。私は今この瞬間、決して足を踏み入れてはならなかった世界に飛び込んでしまったんだと自覚した。

 振り返ってみると、静かな三日月の下で五つの骸が転がっていた。新選組の隊士の人が三人と、私よりももっと運の悪かった人が二人・・・ せめて彼らの冥福を祈りたいと思った。

更新日:2012-02-07 21:53:37

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