• 30 / 97 ページ

透明ランナー

挿絵 240*268

雨が止んでふと見上げた空が高くなったと気づく。

季節はそれとは知れぬ間に空気の成分を変化させ、僕らの住む海辺のちいさな町の色あいを少しずつ変えていく。

海につながる運河の岸には白やピンクのコスモスが群れて咲き、鶏頭の花の血赤色がその風景をひきしめる。

澄んだ空気につつまれた町は今年もまたちいさな秋祭りのしたくをはじめた。

家々に提灯がさげられ、ひとけがなく静かだった鳥居のむこう側に、にわかに人が行き来しはじめ、社務所では神輿だの神楽だのという言葉が張りのある声に乗って飛びかう。

神社前に看板が立ち、寄付をしたひとびとの名前が誇らしげにならぶ。祭りはみんなのものだとならんだ名前が教える。志水時生殿、ちいさく僕の名前もならんでいる。

夕闇がひたひたとひろがりゆき、やがてこっくりと町をつつむころ、僕と華子は絹子にたのまれた卵のパックを抱えておつかいから帰る。

墨色に染まり始めた空を見上げ、星を見つけながら歩けば、心地よい秋のはじまりの風が追いかけてくる。風は街路樹をかろやかに躍らせ、雑草をいとしげに撫で、ひとびとの足音と虫の声とにぎやかなお囃子の音を運んでくる。

華子が耳をすませ、音を聞き分ける。そして僕を見上げて言う。

「時生さん、なんか笛の音がするね、」
「あれはお囃子だよ。ここいらのお祭りが近いんだ。町内会館でみんながおさらいしてるんだよ」
と説明すると華子が「へー、お祭りなの」と声を弾ませる。

「ああ、夜店もお神輿も出るよ。いっしょにいこうね」
「うん」

「子供のころ、僕も純一といっしょに太鼓を叩いてたよ。平太鼓っていうやつ。僕はぼちぼちだったけど、純一はうまかったな。なにやっても勘がいいんだよな、あいつ」

「ふーん。ね、純一さんってだれ?」
華子が何気なく純一のことを聞く。

「純一かい? 僕の幼馴染みだよ」
と何気なく答えたつもりだったが、思いがけず僕のなかにその名がとどまり、静かに波紋を広げていった。

薄闇にまぎれる細い路地に、お囃子が流れていく。

その音を追うように、傷だらけのひざ小僧を見せて幼い僕が駆け出していく。ここにはいない純一を探しに行く。

沢村純一。利発そうな瞳と器用な指先と疲れを知らない脚を持つ、大工のひとりむすこ。親よりも早く逝ってしまった僕の友達。

更新日:2009-01-17 07:31:30

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook