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銀杏

挿絵 393*554

この庭がまた野性的だ。ランダムに植えられた植木が野放図に育っている。さながら極小自然園といったふうだ。

この目で見なくても信じられることはある。今は見えないけれど、地の上、地の底、天井や影の中、薄闇にまぎれて生きるものは確かにいる。

彼らはほんとにいじらしいくらい健気に生きている。時折そうとはわからぬように彼らのサインが届く。そんないうにいわれぬとしかいいようのない不思議が漂うこの店もこの庭も、絹子のお気に入りである。

群れて生える竹は丈高く伸び、ヤッホーと語尾上がりの掛け声を発しながら風に大きく靡いている。

たけのこは傍若無人、掟破りに場所を選ばず生えてくる。実のなる季節に枇杷の木はたわわに実をつけ挑発するかのごとくニヤリとして、欲しいかい、とたずねてくる。そのそばでグミも可愛く誘っている。

ドクダミは白い花びらの中の黄色いとんがりを自慢げな鼻のように伸ばし、下草陣取り合戦の勝者の顔つきをしている。こいつには根性がある。おいおい、ユキノシタ、のほほんとしてないで、君もがんばれ、とはっぱをかけたくなる。

つくばいのそばには亀の陶器の置物がてんでの向きに並んでいる。大小、都合八匹いる。絹子はどうもその色とりどりの亀たちが、時々人の目を盗んでひょろっと動くような気がしてならない。ひとが通り過ぎたら、ぺろりと舌を出しているんじゃないか、とも思っている。

カンさんは今はここに一人住み店を構えているが、元は坊さんだったとか学者さんだったとか噂されている。

どこで仕入れてくるのか、やれバツイチだの未婚の父だのという風評もある。

金持ちの息子が身を持ち崩したの、商売女と駆け落ちしたのと、無責任に仕立て上げられたおはなしは、どれも上手くいかない人生をなぞっている。

カンさんの全身から漂うけだるさのようなもの、あるいはここにいてここにいないひとのような、どうにも頼りない存在感がそんな物語を呼ぶのかもしれないが、本人はなにを聞かれても、いつもつるりと頭を撫でて、さてねというばかりなので、ほんとのところは誰もしらない。

絹子はときどき道に迷う。もういい大人なのに迷子になってしまう。

地図を手にしながら行き先までたどり着けない絹子を見て、その迷い方はむしろ才能と言うべきかもしれないと時生は言う。

そんなときの時生の顔は若いくせにちょっと分別くさいなと絹子は思う。そして自分が道に迷うのは、なにかしらひとならぬものに呼ばれてしまうからだとこっそり思ってもいる。

時生が生まれ育った小さな海辺の町でふたりいっしょに住み始めて一年目のこと。タチアオイが咲く夏の日の昼下がり、買い物帰りにいつも通る道の見慣れた家並みが、陽炎にとけるように揺らぎはじめた。

歩くほどにあたりはよそよそしい顔つきになっていった。そしてなおも続く細い道の先に、いきなりこれまで目にしたことのない真っ赤な鳥居が現れた。

その鳥居、いささかサイズは小さいがぼってりと塗りなおした感がある。どうやら稲荷神社らしい。社務所も本殿も悲しいくらいにこじんまりとしていて、しんと静まり返っている。

日差しにいよいよ色を濃くする鳥居をくぐり、夏草が繁茂する境内に入っていくと、赤いよだれかけをかけた石のキツネが笑っていた。

それをみて、ほほう、そういうわけですか、と絹子は合点する。自分を呼んだ主はさびしがりやで、絹子の訪れを待ちかねていたのだ。そうだ、きっと絹子だけを待っていたのだ。

ああ、いじらしい、と絹子は思う。あたりには誰もいなかったので、石のキツネの胸元にそっと触れてみた。トクンと鼓動が手を打ったような気がした。

もう、この町のどこもかしこも知り尽くしていると思うようになった次の年のこと。桜にはまだ早い春の日に、街の写真を撮ろうと思ってデジタルカメラを持ってひとり散歩に出かけると、風が急に強く吹き始めた。

しゃわしゃわしゃわという乾いた音が耳に届いた。音符でいうと十六分音符のように急いだ音が、道沿いのブロック塀のあたりから聞こえた。

見上げるとそこには白木蓮が今を盛りに咲いていて、風が吹くたびに大きな花びらをこすり合わせるように揺らしていた。

おや、まだ桜も咲かないのにもう白木蓮だなんて、と訝しく思いながら、絹子はその優美な花びらをデジカメに収めた。

そのまま誘われるように踏み込んだ見慣れぬ道の先に鳥居があった。かつては鮮やかであっただろう朱が褪せ、その下にのぞく木の地肌に無数の傷をもつ古びた鳥居だ。絹子はまた呼ばれたのだと思う。

更新日:2012-04-15 00:09:13

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