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ひきこみ運河

挿絵 282*212

季節が秋へ移ろうかというころ、昼間の熱気が引く時刻になると、ひとびとは運河沿いの遊歩道を散歩する。近所のアパートに住む若い夫婦、時生と絹子も、休日の夕刻には並んでその緩やかにカーブした道を行く。

海から続く運河はその地名から「勝島運河」と呼ばれている。流れのない運河は気温が上がると濁った翡翠色になり、空の色も雲の形も映さなくなる。あたりには磯の匂いが漂い、海が近いのだと教える。

引き潮になると、運河は消えない日焼けあとのような元の水位の線を残して浅くなる。するとそれまで見えなかったものが次第に姿を現す。

丸や四角の石、バイク、自転車、偶然あるいは故意に沈められたものが、黒々と滑った泥と無数のフジツボを纏い、入り乱れ重なり合ってそこにある。その光景を見るとどういうわけか絹子はきまって痩せこけた老女の首筋を連想する。

「ひきこみ運河」という言葉があるのかどうかはしらないが、絹子はこの運河にそんな異名を付けた。その水の下には真っ直ぐ見てはいけないもの、得体の知れない何者かに引き込まれた哀しいなれの果てが蠢いて、なおも誰かを呼んでいるような気がしてならなかった。

運河の両河岸の斜面には季節の植物が植わっている。一メートル四方に区切られた花壇は区画ごとに持ち主が違い、それぞれに世話をされる。

春浅いころ、菜の花があたりを黄色く染め、夏から秋にかけてはコスモスがしなやかに靡く。

群れて咲く薄紫の花はその陰で幼子がかくれんぼをして遊べるくらいに育つ。そばを歩くと、まあだだよ、と可愛い声が聞こえる。家に帰りたくない子供がいる。

手前の岸は民家に接しており、境に植えられた桜並木が遊歩道に枝を伸ばし日陰を作る。その桜の木の下、車椅子を押し進めるひとの姿がある。

足萎えた老女と中年の女性が絹子たちのほうへやってくる。親子だろう。正面から見ればよく似た顔が上下に並んでいる。老いた顔立ちには表情が乏しいが、遊歩道を進むうち、瞬間小さなあかりがぽっと灯ったように和らぎ、強張った指を立てて遠くの何かを指差す。

倉庫群の上空に飛行機が見える。暮れ始めた空を上向きに傾いで飛んでいく。これからもっと上空をめざす出発便だ。

娘が頷きながらその耳元でなにか囁く。その表情はそれが幾度もなされた会話であることを感じさせるが、前を向く老女には見えない。日々の儀式のように老女の思いは同じ道をまた新たに辿っているらしい。

娘の言葉に納得がいったのか老女は満足げに頷いてまた無表情に戻る。飛行機に纏わるよい思い出がその胸にあるのだろうか。老女の飛行機は国境を越え、晴れがましくも華やかな時間を今も飛んでいるのかもしれない。

車椅子をやり過ごすと、老女ふたりの後姿が見えてきた。並んで歩いていたが、次第に二人の距離が離れていく。

先を行く老女はきびきび歩く。遅れた老女は左右に揺れながらゆったり歩く。猫背でスカートからのぞく足は象のように足首がない。

先の老女は立ち止まり、振り返って大きな声で言う。
「きくちゃーん、転んだら一巻の終りだからね。骨折れて寝付くことになるわよ。気をつけるのよ、わかるー?」
 きくちゃんはただ頷く。
「わたし、こっから行くからね。あんた、帰り道わかってるわよねー。また顔見に行くからさー。元気でねー」

きくちゃんは手を振る。
ふたりとも一人暮らしで、面倒をみる側とみられる側という役割で長い年月変わることなく付き合ってきたのだろう。自分たち夫婦の舵取りもそんなふうだなと絹子は苦笑する。

更新日:2009-01-17 00:21:00

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