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リセット

薄い軽い銀色のドアをあけると、重みを含んだ空気がぼくを包み込もうとします。同じ空気のはずなのに、呼吸する場所によって微妙に匂いが違うことを感じました。そして少し、緊張しました。行きなれていない場所で裸になるのは危険なことだということを、ぼくの動物的な感覚がそう思わせるからなのでしょうか。緊張した足の皮膚がよりいっそう敏感になって、床に飛び散った水のかけらの冷たさを、体中に知らせまわります。人工的なやわらかいマットがまず出迎えてくれて、その上で身につけていたものを全部とって、ぼくは軽くなりました。辺りを見回してみましたが、外の寒さと浴室で生まれた熱気が入り混じった脱衣所の中に、人はいませんでした。誰もいないのかもしれない、と思うと、急に緊張が解けてきました。緊張が解けたというよりも、少しうれしくなったと言ったほうがいいかもしれません。この広い空間を一人で使え、そしてどんな事をしたとしても咎められないという、一種の開放感というのを味わいました。

がらららら。

磨りガラスがはめられたドアは思いのほか重くて、力を入れると予想以上の音が出ました。ドアの開いた隙間から、いっせいに白い湯気が飛び出します。霧が少しずつ晴れていく中で、人影を見ました。誰かいる、と思ったときに、ぼくの中で再び緊張感と言うものが高まってきたような気がしました。
全てがはっきり見えてからすぐにシャワーのある場所に移動すると、身体を洗うことだけに集中することにしました。見ず知らずの人間と同じ空間を共にするということは、かなり疲れます。体を洗うという目的を持つ今はまだしも、体を温めるだけの沈黙の時間を果たしてぼくは過ごせるのだろうかと思えてきました。温まらずにこのまま出るというのは少し厳しい季節でした。意を決して、沈黙に耐えられなくなるまでという期限を設け、湯船に入ることにしました。

そこで思いがけない誤算が生まれました。お湯がとてつもなく熱い。いつも家の湯船のお湯をぬるくして親の反感を買っていたばちがあたったと思いました。先行してつけた両足がすぐにもう、熱いのか痛いのかわからなくなってきています。何とかももまでは入ることができましたが、その先はもはや限界でした。そのときでした。

更新日:2009-01-13 21:08:15

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