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 廃工場の間を抜ける通路を歩く。
「そもそも、ワシは今日、一応書類上は有給取っとるやろうが。咲耶がワシを社会人として失格やとか思ってしもてたらどう責任取ってくれるんや」
 隣を進む漆田に、西園寺はぐちぐちと文句をつけていた。
「多分彼は君のこと、既に人間として失格だと思ってるみたいだから、今更どうということもないんじゃないかな?」
「うっわめっちゃむかつく」
 しかしさらりと感想を述べられて、低く呟いた。
「まあ、普段なら午前中ぐらいのロスは大目に見て貰えるんだろうけどね。今回は、ちょっと、相手が悪い」
 歯切れ悪く漆田が呟くのに、不審な視線を向ける。
「相手が悪い、ってどういう意味や」
 殊更今回そういう感想を告げられたのに問い質す。だが、青年はそれにしばらく沈黙した。
 進んでいく通路の先に、車が停められていた。西園寺がここへ来るまでに乗ってきたものだ。駐車場に停めていては戦闘で被害を受ける可能性があるので、あえて離れた場所に置いておいたのだ。しかし今はもう一台、同じような黒い車が後ろに駐車されている。
 漆田が白衣のポケットから茶封筒を取り出した。
「はい。キーは中に入ってる。資料はダッシュボードの中にあるし、ナビは本部長に直通のラインが繋がるようになってるよ。当座の必要なものは用意されてると聞いている。君の車は私が乗って帰るから。多分、料金は経費で落とせると思うよ」
 片手で封筒を差し出し、もう一方の手でキーを要求する。肩を竦め、西園寺はレンタカーのキーをそこに乗せた。
 茶封筒の中身を取り出す。電子キーの他には、焦茶色をした革の手帳のようなものが出てきた。慣れた仕草で西園寺が開くそれは、手帳と違い縦向きだった。
 そこまで見届けて、漆田がレンタカーへ歩み寄る。ぺたん、とサンダルが軽い音を立てた。
「うん、まあ、今回はちょっと同情するよ。君たちに」
 そう言い残し、車に乗りこんだ。そのまま滑らかに発車させる。
 小首を傾げながらそれを見送り、電子キーを摘む。それは指紋認証と呪紋認証を兼ねている。本部に属する人間以外は起動させることは不可能だ。開発したのは、漆田だった。少なくとも、あの青年は有能ではある。色々と癖があるにしても。
 簡単にロックを外し、運転席に入る。同時にナビが起動したらしく、名前を呼ばれた。時間がない、というのは誇張ではないらしい。小言を覚悟して、西園寺は姿勢を正す。



 帰宅途中の喫茶店でモーニングを摂り、他愛のない話をしているうちに、咲耶の機嫌は直ってきたらしい。のんびりと少年たちがマンションへと戻ってきたのは、廃工場を出てから三時間ほど経ってからだった。
 マンションを視界にいれて、咲耶の足が止まる。
 路肩に一台の車が停まり、歩道側の扉にもたれて一人の男が立っていた。
「……近いうちって言ってたけど、やけに早いな……」
 紫月が小さく呟く。咲耶はそれを黙殺し、大きく溜め息を落とし、そして肩を聳やかして勢いよく足を進めた。
 男がこちらに気づき、眉を寄せて口を開く。
「遅いわ。何時間待ったと思っとる。青少年が朝っぱらからふらふら遊んで来とるんちゃうぞ」
「俺は一体どこから反論すればいいんだよ……」
 疲労感がぶり返したのか、力なく咲耶は答えた。
 だが、三時間前に会っていた時と、男の雰囲気は大きく異なっている。
 あの時はこれから起きることへの期待からか、ひたすら楽しげな表情しか見せていなかったのだが。
 今の彼は、咲耶に劣らず、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。火の点いた煙草を苛々と携帯灰皿へ放りこむ。その中からは、既に数本の吸い殻が覗いていた。
 訝しげに、紫月は一歩離れてそれを見ていた。他人事だ、と思っていたのは確かである。
 小さく息を吸い、西園寺は二人に革の手帳のようなものを示した。ぱたん、と軽く表紙が開く。
 中から現れたのは、金属製の、威圧感のある紋章だった。
 ……いや。
「警視庁捜査零課所属、不可知犯罪捜査官、西園寺四郎や。杉野孝之さんが亡くなった件で、事情を伺いたい。同行して貰えるか? 弥栄紫月くん」
 桜の代紋の前面には、斜めに交差するように二振りの抜き身の日本刀があしらわれている。
 西園寺の言動の全てに衝撃を受け、二人の少年はただ立ち尽くした。

更新日:2011-12-13 23:31:44

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