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見習い書記官の特命



其ノ伍


 蝋燭の炎がふわりと揺らめき、燃える芯がちいさな音を立てている。
 時折、カサカサとぎこちない音で文献の頁が捲られる以外には、動くものの気配さえない、静かな夜だった。

 先程まで微かに聞こえてきていた妹の機織りの音が、いつの間にか止んでいる。わたしは大きく伸びをし、ついでにあくびもした。

 ふあ・・・・・・あぁぁぁ~~~。

 凝り固まった身体を伸ばし、大あくびとともに出てきた涙を指先で軽く擦ると、わたしはちいさく息をついて、目の前に揃えて並べた文献をじっと眺めた。

「はぁ・・・・・・まだまだか。全て読み終える頃には、すっかりジイさんになっているかも知れないなぁ」

 どう考えても、わたしには荷が勝ちすぎるのではないかと思えてならない、その恐れ多いお役目に、わたしはひっそりと肩を落とし、またひとつ、溜息をついた。


 ――いつになったら、わたしはまともな文官として働かせて貰えるのだろう?

 わたしと同時期に、城の文官として勤めることになった他の二名は、既に書記官として会議などに出始めているというのに。もしやわたしは、自分でも気づかないうちに、何かへまをやらかしてしまったのだろうか??

 わたしといえば、登城初日、上司であるクコル尉官とそのまた上司であるミルフ老師の意向のもと、大切な隠し名をあっさりと変えられ、そのまま“開かずの間”を思わせる、奥まった城の書庫に連れて行かれ、そのまま今に至るまで、その開かずの間で連日、膨大な量の文献整理に当たっている。

 ひとりで仕事をすることも、会議に出られないことも、じつのところ不満という訳ではなかった。今まで体験したことのない出来事をわたしは充分に楽しんでいたし、所詮、この立派な城の中でわたしにできることなど、たかが知れていたのだろう。仮に雑用員として雇われたのだとしても、こうして働くうちは、わたしと妹の暮らしもそう悪いものにはならないに違いない。

 それだけはわかっていたので、もともと物事を突き詰めて考える性格でもないわたしは、あっさりと気持ちを切り換え、埃だらけの文献と向き合うことに、専念した。

 ひとりでもくもくと整理を続けるわたしのところに、時々、クコル尉官がやってくる。わたしの進捗状況の様子を見がてら雑談を交わすのだが、ある時、わたしが何気なく呟いたひと言を切っ掛けに、尉官はとんでもないことを言い始めたのだ。

「・・・・・・こちらの文献は、國歌(クニノウタ)の物語に、何か関わりがあるのですか?」

 文献整理の手を休め、尉官と一緒にお茶を飲みながら尋ねたわたしに、クコル尉官は頷いた。

「ええ。そうです。これらの文献は皆、代々、城に仕える書記官達が、この国に起こった出来事を書き綴ったものですから、國歌に関わりの深いものも多いですね・・・・・・何かナタネさんの気になることがありましたか?」

 クコル尉官は上司でありながら、わたしのような年上の部下に対しても、丁寧な言葉遣いをされる御方だ。本当はとても偉い御方なのだろうに、こんなに気安くわたしが話をして良いものなのだろうかと思いつつ、わたしは書棚に視線を向け、目的の文献を目で探した。

「何というか・・・・・・これは、わたし達だけのことを書いたものでは、ないような気がするのです。歴史の内容はきちんと綴られていますが、例えば、これと・・・・・・これです。他の文献と比べ、語られている出来事の記述に、ごくわずかですが偏りがあるような気がして」

 書棚から慎重に古い文献を取り出したわたしに、尉官は驚いた様子で頭上高くそびえる書棚を見上げた。

「――あなたは、この文献の中身全てに目を通しながら整理をしているのですか?」

「ええ。あの・・・・・・老師様が、興味があるものは好きに読んでくれて構わないと仰せでしたので・・・・・・なにしろ時間だけは随分と余裕がありますし、珍しい貴重な文献も揃っていましたので、つい老師様のお言葉に甘えてしまい――立場もわきまえず、思い切り読みふけってしまいました・・・・・・た、大変申し訳ありません」

 日頃、あまり表情を崩さないクコル尉官の意外な一面に動揺し、めがねの奥で瞳を泳がせ始めたわたしに、尉官は慌てた様子で軽く両手をあげた。

「――ああ、いえ。違うのですよ・・・・・・そうですか。じつは、ここに収めた文献には、わたしの父が編纂に加わっていたものも含まれているのです。当代の王がご在位の間は、國歌の謳い替えは行われませんので、当分の間は誰かの目に触れる機会もないだろうと思っていたものですから・・・・・・この文献を目にしたのも随分と久しぶりです。当時のことを思い出しますよ。懐かしいですね」

更新日:2010-12-30 18:22:26

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