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小説

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第四話 春待ち人 Springtide

 そして破局は、歌うようにそこにあった。
 破局は、風の中、何食わぬ顔で佇む――


 関東の冬の、明るい午前。山を越え、平野を渡って吹き荒びながらもまだ勢いを失わない季節風に吹かれながら、一人の女と、一人の男が歩いていた。運河を渡る橋の上を、歩いていた。
 女が先に立ち、男はその後ろに従っている。女は風に暴れる長い髪をマフラーで押さえるようにして、さらに右手で髪を押さえている。厚手の生地の、黒く長いコートを着ている。身長は一五〇cm台半ば。少女じみたシルエットを持つ、かなり若い女のようだ。一方、男の方は、身長は一八〇cm近く、やはり黒く丈の長いコートを着ている。やや長い髪を、風に吹かれるままにしている。
 橋を渡り終え、信号で二人は立ち止まる。道路を渡り、さらに海側へと歩みを進めるらしい。建物の陰になり、少し風が落ち着く。
「あたしね、埋め立て地ってのが好きじゃなくてね。」
「風水を、壊すためでしょうか。」
 冷笑に近い表情をちらと浮かべて、女は吐き捨てた。
「ふざけてる?風水なんて今も昔も、土木工事のための金のなる占術に過ぎない。風水を保つために山を崩し川を撓めてる。」
「はい。」
 信号が変わり、二人はまた、歩き出す。
「東京なんて、元のじめじめした草原に戻ればいいのよ。水害だらけのね。」
「……。」
 びょう、と強めの風が吹き抜け、会話がまた、途切れる。だが再び歩みを進めながら、ぽつり、ぽつりと二人は言葉を交わす。
「教誨師、と名乗ったそうね。」
「はい。」
「その名が事実なら、元々は、裏社会の掃除屋稼業、くらいのはずだけど。単なる殺し屋さんと言うには深みにはまりすぎた、汚れた手の巫女、ということになるかしら。」
「はい。」
「彼女自身もそれなりだけど、……。彼女の人脈の方が怖いわね。」
「その中には、元邪神もいると、聞いています。」
 女の顔に、再び失笑が浮かぶ。まだ幼さの残る顔立ちとは不釣り合いな、明らかに棘のある、凄みすら感じさせる表情。だがそれを、男に見せてやる気はないらしい。先に立って会話を維持しつつ、すたすたと歩いて行く。
「元邪神なんて言っても、話が通じる相手なら、ちょっと毛色の変わった腕っぷしの強い式神みたいなものよ。恐れる必要はない。それよりも、怖いのは公安ね。頭数というのは、我々のような異端分子を封じ込めるためにあるんだし。彼女は単体ではなく、彼女の背後にはそれなりの規模の兵隊がいるということだから。」
 女の背後で、無表情のまま、男が言う。
「新皇将門公の荒御霊をも従えると言われる親方様が、気弱なことをおっしゃいます。」
 さすがに女の方が歩みを止め、振り返る。儚ささえ感じさせる優しげな眉根が、だが厳しくつり上がっている。
「あなたみたいのを狸と言うのよ。」
 男の顔は、相変わらず柔和なままだ。だが、特に感情というものを感じさせない表情。
「それは心外です。私自身としては、親方様の忠実な僕、あえて言えば犬くらいには思っているのですが。」
「ふん、烏のくせに犬ですって?まあいいわ。残念ながら当面はお前たちの助力が必要なのは事実であるし。」
 女の言いぐさを気にも留めないように、男は事態の先を尋ねる。
「して、その教誨師を相手に、親方様はどうなさいます?」
 何か口惜しそうな表情を一瞬見せた後、女は踵を返し、また歩き出した。
「ふん、何も特別なことはないわ。こちらのやり方を示すだけ。」
 小声でそうつぶやくと、再び足を止め、季節風に立ち向かうように振り返った。笑顔を浮かべ、華やいだ声で告げる。
「まずは、……水の歌でも聞かせましょうか。」
 一際強い風が吹き抜け、女の長い髪を吹き上げ、女の顔を露わにする。とっさには男の返答は返らない。
 女の方はにこにこと笑っている。男は相変わらず、無表情に近い、柔らかい表情のままだ。
「どちらを、お考えでしょうか。」
 さらに女は笑う。すっかり少女の顔、少女の声だ。歌うように告げる。
「ここよ、ここ。」
 辺りは、いくつもの橋が土地を結ぶ一帯。少女が立っていたのは、そうした橋の一つ、車道と歩道で構成された、ごく当たり前の橋の一つだった。ここ、そう告げつつ少女が、橋の欄干の中央で足踏みすると、なぜかひととき、風が弱まる。まるで誰かが、聞き耳を立てているように。
「今度こそ、死者が出るのでは?」
「それが何?」
「いえ、今までそうした事態を避けていらっしゃったようでしたので。海老原にも、そこは踏み越えなくてよい、と助言なさった。」
「それもこれも、この緒戦で形勢を定め、一気にけりを付けるためよ。そして三月、お前たちが目論む日置部のマツリの頃には、この辺りは泥と潮にまみれた、人の住めない干潟に戻る。いまや新時代の聖地と謳われる夢の島は沈み、汐留辺り、あるいは皇居付近まで、海水が流れ込む。」

更新日:2012-08-15 01:01:07

教誨師、泥炭の上。 【第四部】