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小説

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第三話 鏡の理由 Multi Core

 その夜教誨師は、センター保有のセーフハウスの一つ、神田明神にほど近い、とある民家の一室にいた。一〇畳を少し超える程度のリビング・ダイニングの中央には、ソファやテーブルを除けて厚手のラグのみが敷かれ、神社本庁の水原環、人材センターの九条由佳が向かい合って座っている。教誨師はその居間の隅、玄関に近い側に、ダイニングテーブル用の木製の椅子を並べ、サポート役の吉田紗幸とともに座っている。
 室内に会話はない。
 皆は、一つの情報を待っていた。それは当然、敵の所在情報だ。
 九条由佳は今、その使役する一二柱の式神を都内に放っている。水原環もまた、使役する六柱の式神を、都内に放っていた。二人は、併せて一八柱の式神たちを駆って、合同庁舎に現れた式神によって連れ去られた、吾妻ルカの魂を探索している。
 水原配下の式神は、正確には式神または鬼神と呼ばれるものと、人類との混種であった。空間を次々転移する能力にこそ明確な違いはあるものの、九条配下の式神と連携して活動するのに十分な能力を有していた。
 一八柱の小さき神たちは、霊的なactivationやその余波を、霊的なランドスケープとして、つまりは霊的な活動の高い場所は高く険しく、そうでないところは低く平坦な地形として読みとる能力を持っていた。それは、式神という種族に備わった、防衛本能的な能力の一つとも言える。訓練、そして実戦の中で研ぎ澄まされてきたその能力を、九条の術式を媒介にリンクさせ、シンクロさせる。すると、微弱な反応が増幅され、霊的なモノを視る眼を持たない凡庸な者には決して視ることのできない、壮絶なパノラマが開けていく。
 幾千万の死者をそのうちに抱え込む東京は、さながら大小さまざまなアンテナが剣山のごとく乱立する、急峻な山岳地帯だ。それを式神たちは、地上にいながらにして俯瞰する。馴染みの景色の中に、いつもと違う、異質な色を探し出す。
 教誨師・相馬ひなと吉田紗幸がここにいるのは、敵の所在が分かった場合の斬り込み隊としての役目を果たすためであり、また、式神や混種鬼神とネットワークを維持し続けている、水原と九条の護衛のためでもあった。二人とも、使役魔とネットしていても基本的な行動は可能だが、信頼できる護衛に身を任せれば、全感覚を霊的ネットワークに没入させられる。
 教誨師は昨秋巫化を迎え、霊的な世界へと足を踏み入れたが、この二人のそばには近づく気になれなかった。自分など眼中にないと分かっていても、ライオンの鼻先で遊ぼうと思うウサギはいないよね、そう、自嘲気味の笑みを浮かべたほどだ。巫化の前の方が、二人と気安く会話できた気がする。
 だから、室内の、十分二人の状況に目が届く範囲で、かつそれなりに距離が取れる辺りにアサシン・吉田紗幸と陣取り、ただじっと、時が至るのを待っていた。己の霊的な能力も、完全にアイドル状態だ。
 鬼斬りの太刀小太刀は、すでに後見人こと青木はるみに届けさせ、手元にある。敵の座標が分かれば、これも付近で待機中の森田の車で移動する。そうしたセッティングはすべて終わっているのだが、肝心の敵の情報はまだ、掴めなかった。
「吾妻さんの精神を不自然に拘束しているのであれば、必ず何かの反応が漏れ出るはず。」
 それが、作戦開始前に水原と九条が述べたこの作戦の、最大の根拠情報だ。もちろん、敵が探索エリアの外にいる可能性もある。巧妙に霊視除けのマスキングを行っている可能性もある。よりやっかいなのは、非常に低いレベルでしか霊的な活動を行っていないケースだ。式神たちの検出能力は並外れた精度を保っているが、霊的な出力を付近のノイズに埋もれさせてしまえば、識別は難しい。
 いずれにしてもこの時点で、事実として吾妻ルカの意識は戻らず、敵の所在は掴めていなかったのだ。


 午後一〇時を過ぎた公安課S班の作戦室で、長谷川里香子と結城舞は相変わらず端末に向かっていた。課長は先ほど警察病院に向かい、また夕方からテロ班綾川の後輩大村が再襲撃に対する警戒に当たっているはずだが、まだ何の連絡もない。つまり吾妻の意識は戻らず、また敵が再び吾妻の身体を奪還しに来たということもないということだ。サイバー班として、打てる手はほぼ打ってしまった。吾妻ルカの依頼に従い、吾妻ルカアカウントは停止後完全に削除しており、仮に敵が吾妻アカウントでのハッキングを試みても、すでに何もできなくなっているはずだった。だから、状況は切迫しているはずなのに、いくらか手持ちぶさたになっていた。
 目覚めぬ愛しい人を助けるために今できることは、もうなくなっていた。

更新日:2012-03-13 04:00:08

教誨師、泥炭の上。 【第四部】