• 作品を探す:

小説

携帯でもPCでも書ける!

  • 1 / 83 ページ

第一話 営業再開 Business Resumption

 落葉松の葉の積もったやわらかい足元は、朝方の霧にまだ濡れていた。赤茶色い松葉が、ふわふわしたフェイク・ファーの付いた、丈の短いブーツのつま先にも、またかかとにも付着していた。すっかり葉の落ちた枝先から見える空は、鈍色で、僅かな雲の切れ間もなかった。身支度をきちんとしていなければ、手足の指先が数分でかじかんできそうな、冷え冷えとした林間の昼近く。
「どうだった?研修。」
 毛糸の帽子を少しだけ揺らして、背の低い方の女が尋ねる。背中には、この別荘地で合宿して練習でもするというのか、ギターの入る大ぶりのケースを背負っている。
「そうね、語学と実弾の扱い以外、特に目新しいものとは出会わなかったかな。」
 何か遠くを見るようなまなざしで、背の高い方の女が応える。吐息で手袋の指先を暖める。こちらも、ギターの収まるようなケースを背負っている。
 並んで歩く二人は、どちらも高校生くらいに見えないこともないが、もう少し大人であるようにも見える。ときおり白い呼気を見せながら、ぽつりぽつりと会話は続く。
「あれ、海外経験あったっけ?」
「ないけど、別にそんなもの出会っても、ふうんて感じで。」
「そっか。……あたしもいつかは留学とかした方がいいかなぁ。」
「OJTで十分だと思うよ。それよりあなたはあまり、この国から出ない方がいい。」
「なんで?」
「……そんなこと言って、あなただってもう、分かってるでしょ?あなたは、候補の一人だから。狙われて当然。可能性があるってだけで水原さんが国外任務を与えられた件、当然だけどあなただって知ってるでしょ?」
「……うん。」
「あなたが海外に出るとなると、外事も本庁も対応するでしょうし、そうなれば、ね。」
 言われるまでもないとでも言いたげな、つまらなそうで不満げな顔を見せた後、女はふっと、空を見上げた。そして、ため息混じりにつぶやいた。
「ま、いいか。あたしには、」
「あたしには?」
「ううん、何でもない。」
 ダウンのポケットに両手を突っ込んだまま、立ち止まり、俯いた。ちょっと呆れたような様子で、背の高い方の女が訊く。
「ケイくんも紗幸ちゃんもいるし、とか?」
「がっつりお仕置きされたいみたいね。」
「ええ、とっても。」
「……覚悟しときなさい。」


 依頼は、神社本庁からだった。ターゲットの罪状は国家に対する反逆罪、とは言っても、正当な裁判の結果申し渡されたものではない。あくまでも、本庁という組織の理屈として定められた罪であり罰であった。本庁の未来読みたちは、己が身に降る神託を正確に伝えねば、国家への反逆罪に問われる。それを受け、本庁の意志決定機関に伝える者も、神託に改変を行えば同罪だ。その則を、ターゲットは踏み外したのだ。
「こんなの、内部で処理すればいいのにね。」
「ケガレ、ていうの?神職が殺しというのもね。」
「あなただって、巫女なのに。」
 女二人に見下ろされる格好になっていた男の眉が、「巫女」ということばにぴくりと動く。それを無視して、女は答えた。
「いいの。まあ、これまで一応巧妙に潜伏してきたわけだし、神託を曲げるような相手でもあるしね。一応は専門家に依頼したいんでしょ?」
 男の口が開いた。だがそれは、何かを尋ねると言うよりも、自問自答のような口調だ。
「巫女、だと言うのか?お前が……。そうかお前、お前が教誨師なのか。当代唯一の鬼斬り、そして卜筮の巫女第一候補と、こんなところでお会いできるとはな。」
「よく調べましたねと言いたいところだけど、違うよ。あたしはそんなご大層なものじゃない。――あたしは、殺し屋。教誨師という通り名の、けちな殺し屋よ。」
「ふん、まあ呼び名など何でもかまわない。こうしてオレはお前に会えた。お前にとってはつまらん仕事の時間かもしれないが、オレにとっては最大の、……チャンスだ。」
 男はそう言うと、両手を後ろ手に縛られ正座させられていた体勢から脚力のみで跳ねるように立ち上がり、手近にあったソファの背面を蹴り飛ばした。ソファは常識とは異なる加速を示し、教誨師と名乗った女めがけて正確に床の上を滑った――
 しかしソファはただ、ペンション風のリビングの、ニスの乗った板張りの壁に激突し大破しただけだ。女の悲鳴はおろか、壁とソファとの間に肉を挟んだような、重く湿った音さえしない。
「遅いのよね。」

更新日:2011-11-09 23:21:26

教誨師、泥炭の上。 【第四部】