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鋼鉄の番犬

挿絵 400*560

 その日、この店の女主人であるサアラの気持ちが浮き立っているのを、鋼鉄の番犬オールドクロックは感じ取っていた。しかしそれはオールドクロックには関係のないことだった。自分の仕事は、この場所を守り続けることだったからだ。
 喫茶ぶらうにいには、奥まった一角に、壁で仕切られ、床から数段高く造られた場所があり、そこには古びた肘掛椅子が置いたままにされている。オールドクロックはその椅子の近くにいつもうずくまっていた。
 オールドクロックは、全身が鋼鉄で覆われていて、背には背骨をつなぐボルトがむき出し、どんな岸壁をも駆け上る鋭い爪と強靭な四肢、岩をも噛み砕く鋭い牙を持つ人造犬キュノロイドなのだが、ふだんはじっと一所にうずくまり微動だにしないので、鉄の置物だと勘違いしている客もいる。
 類まれな能力をほとんど休止させ、ただい続けるだけの存在にも、人の目は光り、人の口はさがない。
 街中の小さな喫茶店にとびきり珍しくて滅法強い番犬がいるらしい。
 うわさを聞きつけ、いままでに何人もの大金持ちがオールドクロックを譲り受けようとぶらうにいを訪れていた。ある者はティーテーブルに乗り切らないほどの札束を積んだ。ある者は家屋敷が丸ごと買えるほどの価値のある壺を持参した。そのたびに、ぶらうにいの女主人サアラはやわらかな笑みを浮かべていった。
「オールドクロックの主はオールドクロックが決めるのです」
「つまり、私が主だと認めさせればいいのだな」
 サアラの返事を聞くと、だれもが鼻を膨らませ、オールドクロックを力で従わせようとした。しかし、古びた肘掛椅子の近くにうずくまる鋼鉄の犬は、近づく者すべてを鋼の牙を剥いて追い返した。倣岸な態度で命令されても耳を貸すことはない。力自慢の男たちが数人がかりで引っ張ってもピクリともその場所から動かない。自尊心を傷つけられ、怒りのあまりご自慢のステッキで殴りつけた者さえいる。無惨に折れたのはステッキのほうだった。
 オールドクロックは、ただ守っていた。
 かつて、主が静かな余生を過ごすためだけに置かれた古びた肘掛椅子を。主が最後の時間を終え、二度と座ることがなくなってからも、鋼鉄の番犬はその場所を動かなかった。
 オールドクロックはひたすらに守り続けていた。古びた椅子に座るべき主が戻ってくるまで、ずっと、その場所を。

更新日:2011-10-06 22:49:03

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