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小説

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薔薇の椅子

その公園の奥には薔薇の椅子がある。

  人生は薔薇色だとか、薔薇色の日々だとか明るく楽しい時間を
  感じさせるような色彩ですよね、薔薇色って。
  例えばローズカラーと言うと、私は真紅をイメージします。皆さんは
  どうだろう? 私には薔薇の色は、人の流した血の色に見えるんです。

その椅子は元々は木製のベンチだった。
樫の木で造られている丈夫な2人掛けの背もたれのあるタイプ。

  公園のベンチにひとりで腰掛けるって、若いころから私はどうも苦手で…
  恋人同士やお友達とランチを食べたりお話したりするのは良いとは
  思うのだけれど、ひとりで本を読んだり、鳩に餌をあげたりって
  あまり好きじゃない。

背もたれの部分には、ところどころ少し焦げたような丸い穴があいていて
それを貫通して野薔薇の蔦がそのベンチに巻きついている。

  でも今夜はどうしてもあのベンチに座らなければいけない。
  やっと見つけたあの薔薇の椅子に。

そして茨の様な蔦が座面から背もたれまですっぽり覆いつくして、元の
木製のベンチをまるで感じさせず、薔薇の椅子に変貌させた。一体どんな
力が、あのベンチに降り注いでいるのか、秋のある夜になるとそのベンチは
赤々と一斉に咲き誇る薔薇の花で埋め尽くされる。

  真紅のベルベットに覆われたようなあの薔薇の椅子。今夜の月はあの
  薔薇を満開に咲かせると、あの占い師は言っていた。
  だから今夜、私はあのベンチに座りたい。そうすることで、私の
  人生が再び目覚めてくれるのなら。

どこからともなくその噂は流れてきた。
忘れられた公園の奥に、この世ならざる薔薇の椅子があると。
ある秋の満月の夜にだけ現れるというその真紅の薔薇の椅子に座ることが
できれば、女は若返ることができると。60歳の女性も20歳の乙女に戻れると。

  若い時はちやほやされていた。大きめの瞳、艶のある長い髪、やわからな唇
  程よい背丈と程よい肉づき。だが今はどうだ。節くれだった指、乾いた肌
  余分な肉がつきすぎた身体。もう誰も私を振り返らない。

そのかわり、誰もあなたを思いださなくなる。夫も、子供も、生きているなら親も。
まぁ、見てもわからないほど若返るので、忘れるのと気付かないのと半々だ。
若返った女は、また新しい人生を送ることになる。再び憎愛満ち溢れる波乱の人生を。

  やっと辿り着いたその場所には先客がいた。
  私よりも年老いたその老婆は、着ている物をその場に脱ぎ捨て、産まれた
  ままと言うには余りにも萎びた身体をその真っ赤なベンチに横たえた。

若返りの妙薬は人類の夢だ。いろんな権力者がそれを求めて財産を投資する。
それが目の前にある。人は、自分の人生に満足して老いていけるのだろうか。
特に女性は、輝いていた頃の自分を取り戻すチャンスを逃すだろうか?
たとえどんなリスクがあろうと。

  老婆の身体はみるみるハリと艶を取り戻していく。薔薇の花から何かが彼女の
  中に流れ込んでいるようだ。なにか、巻き戻したフィルムを見ているように
  数分後、椅子にはうら若き少女が腰掛けているだけだ。
  そして太ももには薔薇の痣…

薔薇の椅子の恩恵を受けた女性には、黒い刺青の様な小さな薔薇の痣が、
身体のどこかに表れるという。そしてその恩恵を受けられるのは生涯一度だけ。
二度は受けられない。
薔薇の椅子に二度座るとどうなってしまうのか、誰も知らない…

  少女(元老婆)は私を不思議そうに見ながら、持ってきた荷物の中から
  可愛らしい服と靴を取り出し、身につける。
  その横で私は服を脱ぎ捨て、ヌメッた夜の気配に素肌をさらす。

  子供はいない。親ももういない。夫とはもう何年も口をきいていない。
  私の人生はなんだったのか。次の人生ではもっと素晴らしいことが待って
  いるのか。なぜかデジャブのような、以前にも同じことを考えていたような
  既視感が私を捉える。

薔薇の椅子は、何の為に存在するのか。なぜ女性を一度だけ若返らせるのか。
この魔の生物の欲している栄養素とはなんなのか。どうやってそれを摂取して
いるのかなどと、だれも考えない。再び若さを手に入れる代わりに忘れるからだ。

  下着を足から抜く時に、ふと気になって左足の踝を見る。
  ……そこには小さな薔薇の痣があった。
  でも私はそれに気づかないふりをした…誰に?自分にだ。

薔薇の痣を持つ女性は、薔薇の椅子のスポークスマンでもある。噂を広めて
呼び込む。そして新たな薔薇の痣を持つ女をつくる。そうして絶えず餌を
確保しているのだ。

  赤い赤いベルベットの敷物がかかっているようなその薔薇の椅子。
  私はもう耐えられず、何も考えられず、その椅子に身をゆだねる…

更新日:2011-09-28 08:16:05