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rain

 
 ただ食卓に肘をついて
 組んだ両手に唇を預けているだけで
 頬を熱いものが伝い落ちていく。
 
 もう幾月が過ぎただろう?
 どれだけの瞬間を踏み潰して
 幾度の日々を消化してきただろう?
 それでも
 こうして、ふと痛みは甦ってくる。
 
 四人も向き合えるテーブルなのに
 グラスがたった一つ、私の前にあるだけ。
 少し嵩を下げた水を湛えて
 小さな水滴に曇って。
 
 綺麗に整ったままのキッチンに
 あの日と変わらない数のグラスが伏せられている。
 布巾掛けに干されている二枚の布は、以前ほど綺麗に保たれない。
 小窓の前を飾っている花瓶の足下に、色褪せた花が枯れ落ちている。
 私はその花の名前も知らない。
 
 少し大きな食器棚の中を
 色々な形の皿が埋め尽くしている。
 硝子扉に守られて今でも艶やかなままなのに
 それを使い切れるほど私はものを作れない。
 だから、この食卓ももう彩られない。
 
 音もなく、光もないテレビが鏡のように
 この乾いた空間を黒く塗り潰している。
 それに向き合うソファーには
 同じものを見つめて笑い合う者達はいない。
 きっとこの先、ずっと。
 時々ウイスキーを手に咽ぶ男が映り込んでも
 彼の涙までは描ききれないだろう。
 
 窓を叩く音がする。
 隙間の開いたカーテンの向こうから
 近づく嵐が繰り返し揺さぶってくる。
 私は眠ってなどいないのに。
 
 ぽつりぽつりと降りだした雨が
 風よりも硬い音を鳴らし始める。
 けれど
 やがて重なりゆくそれは
 激しくも、何故か優しく思えた。
 
 人生には時にこんな日々が訪れるらしい。
 人生には時にこんな日々も必要なのだろうか。
 見失ったものならば取り戻せるかもしれない。
 でも、失ったものは永遠に戻らない。
 こんな風に空っぽになってしまった今日や、昨日や、明日も
 いつの日か意味を持ってゆくのだろうか?
 
 水滴に、私の瞳に、グラスが曇る。
 胸の中にたった一つ残されたモノの
 孤独に奏でるその音すら聴こえそうな静寂を
 今は強い雨が包み込んでくれている。
 それはもしかしたら
 少し長いだけの通り雨なのかもしれない。
 静かに上がる頃には
 あの花瓶の隣で伏せられている写真盾も、そっと起こすことが出来るだろう。
 その中にはもう二度と、新しい笑顔は寄り添わないと知っていても。
 
 
 
 
 
 

更新日:2011-07-30 03:40:50

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