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『窓辺のクリス』

挿絵 425*570

『窓辺のクリス』

わたしの名はクリス。

わたしの日課と言えば、朝8時半に朝食をとり、それから本や資料でうずまった仕事部屋で時間を過ごし、昼過ぎからこの窓辺にうずくまって、昼寝をしたり表通りを眺める・・・

そして夕方、空腹を感じる時はちょっとだけ何か食べて、あとは寝るだけなのである。毎日は単調だが、至極充実した気分で生きている。わたしはもう十九才。たっぷりと生きて来たって気分なのだ。


私の主人はよっぽどのことがない限り、朝、8時半かっきりに食事を用意してくれる。私に出されるものは、彼の生活レベルに合ったごく当たり前の食事だが、わたしはそれを不満に思ったこともない。

わたしの主人だって、そんな贅沢な生活をしているとは思えない。
自分の出来る範囲からはみ出すような見栄っ張りなところは何もなくて、そういう彼の性格がわたしの生活の中にも反映しているようだ。

主人は新聞を購って来て読みながら、時間をかけて朝食を取る。

そして10時頃から翻訳の仕事を始める。
わたしは彼の大きな仕事机の一角に陣取って朝の時間を過ごすことが多い。



 主人の仕事を眺めながら、わたしは過ぎ去った昔に思いを馳せる事がある。
 わたしは生まれてすぐ、結構裕福な家に貰われて行ったようだ。

今でも庭の咲き乱れた四季の花々や、磨かれた板張りや、白地に青い模様のついたわたしのための食器などが記憶に残っている。

食事も立派なものだったから、一口で言えば、自分にとって素晴らしい住み家だったということになる。

けれど遠く振り返って見るにつけ、それに相応しく家人の愛情を我が身に受けていたのだろうかと考えるとき、疑問に感じるのだ。

わたしは彼らの家具の一つのような存在だったのではなかろうか。



わたしが12歳の頃だったと思うが、主(あるじ)の仕事の都合で、家族は急に外国へ引っ越しをすることになったのだった。

目まぐるしい出発の準備に追われて、わたしをどこかに託さなければならないなどかは、出発も真近かに迫ってからの最後の問題になったのであった。

かと言って、わたしはもう年をとっていたし、急な事でもあって、引き取ってくれる人は見つからなかった。

あげくの果て、出発前日の夕刻、家人がわたしをバスケットに入れて車に乗せ、冷え込む霧雨の中をあちこち街中を回り、ついにこの界隈で車を止めて、わたしを捨てたのであった。

車の中にはその家の小さな娘も乗っていた。

私は彼女からも特別な大きな情愛を受けていた記憶もない。だが家人が片手に雨傘を持ち、バスケットを抱えて車から出たとき、いきなり娘が泣き出したのだった。

娘は『捨てないで!可哀そうよ』と叫んでいた。
わたしを置き去りにしたあと、逃げるように遠去かって行く車の音と娘の哀願の声を、今でも幻の中に聞く思いがするのである。

鉢植えの陰で、籠の外から漏れて来る冷たい雨水を肌に感じながらうずくまっているところを、今の主人に拾われたのだった。

わたしは発熱のため体を動かすことすら出来なかった。
わたしは家の中に運ばれ、書斎の暖炉の側のソファーに寝かされた。

そして彼はそのまま仕事を続けていたのを思い出す。
やっと一段落ついて、彼はわたしを布でくるみ獣医院に運んだ。そして長く待たされた後、獣医にみてもらうことが出来たのだった。


家へ戻って来たときは、夜もすっかり深けていたように思う。
私は軽い肺炎をおこしていたらしい。
疲れ切った主人はそのまま寝入ってしまったが、翌日私が眼を覚ましたとき、明るい日差しが室内を充たし、すでに彼は机に向かって仕事を始めていた。

そのときになって初めて、しみじみと新しい主人の顔を眺めたのだった。

それほど若くはないが、その端正な細面の顔は苦悩に満ちているように見えた。
仕事をしながら,彼はときどき机の上の小さな銀の額に入った写真を眺めるのだった。
その眼は悲しみのためか充血し、瞬間、涙が溢れることさえあった。

更新日:2011-08-18 16:38:19

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