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2.梅花無尽蔵

 銭泡(ぜんぽう)は泊船亭の一室で目を覚ました。
 夕べ、筑波亭でお茶を飲んだ後、静勝軒の大広間に移った。すでに、山のような御馳走が並び、十年前、銭泡が茶の湯を教えた太田家の家臣や、江戸城下に住む公家や僧侶たちも集まって来た。
 懐かしい顔振れだった。十年前とほとんど変わっていない者もいれば、やけに老けた者もいる。残念な事に戦死してしまった者や病死した者もいた。特に驚いたのは道灌の甥で、道灌が養子にしていた図書助資忠(ずしょのすけすけただ)が七年前に、二十六歳の若さで戦死してしまったという事だった。
 図書助は岩付(岩槻)城主だったため、正月に江戸城に挨拶に来た時、一度、会っただけだったが、若いわりにはしっかりした男だった。戦での活躍も度々、耳にしていただけに、惜しい人を亡くしたとがっかりした。さぞ、道灌も嘆かれた事だろう。
 十年の間に様々な悲しい事もあっただろうが、そんな事は忘れて、皆、銭泡の再来を歓迎してくれた。城下に住む芸人や遊女も呼ばれ、宴は賑やかに行なわれた。
 道灌も十年前よりも丸くなったようだった。十年前は、どこか近寄りがたい威厳のようなものを常に感じていたが、頭を丸めた今の道灌は人を威圧させるような感じはなく、慈悲深い優しさが滲み出ているようだった。
 銭泡は駿河にいた早雲が前に言った言葉を思い出していた。早雲と道灌は同じ年だが、生き方はまるで違っている。生き方は違うが、お互いに相手の事がよく分かるようだった。早雲は『道灌がいる限り、関東の事は安泰じゃ』と常に言っていた。銭泡も目の前の道灌を見ながら、まさしく、早雲の言う通りだと思った。
 夜更けまで賑やかに宴は続いた。どの顔も和やかだった。太田家はうまく行っているようだった。宴が終わると銭泡は道胤の伜、兵庫助に泊船亭に案内された。
 銭泡が縁側に出て、朝の海を眺めていると若い仲居がやって来て、銭泡の横に座って頭を下げた。
「ゆうと申します。伏見屋様のお世話を担当する事になりました。御用の時はいつでも、お呼び下さいませ」
 色白で目のくりっとした可愛い娘だった。
「おゆうさんか、よろしく頼みますよ」
「こちらこそ、お願いいたします」
「いい眺めじゃのう」
 銭泡は顔を洗うと、中城(なかじろ)にいる漆桶万里(しっとうばんり)に会いに出掛けた。
 爽やかな朝だった。門番に挨拶をして根城(ねじろ)の正門をくぐり、根城と中城との間にある空濠に架かる橋を渡った。右に芳林院、左に梅林を眺めながら、のんびりと中城を進んだ。正面には竹林の中に江戸城を守る武士たちの屋敷が並んでいる。
 芳林院にお参りをしてから、銭泡は道灌の家族たちの住む香月亭の方に歩いた。
 芳林院の周厳(しゅうげん)和尚も昨日の宴には顔を出していた。もう七十歳になると言っていたが元気な和尚だった。夕べは、やけにはしゃいで、遊女たちと一緒におかしな踊りをしていたのを思い出しながら、銭泡は香月亭の隣にある梅林の中に入って行った。
 十年前、ここを去る時、ここの梅が満開だったのを思い出した。見事なものだった。こんな所に屋敷を建ててもらうとは、万里も余程、道灌に大事にされているとみえる。
 梅林の中に細い道があり、まっすぐ行くと『梅花無尽蔵(ばいかむじんぞう)』と書かれた簡単な門があった。
 梅花無尽蔵とは万里の別号でもあり、万里の住む庵(いおり)の号でもあった。美濃(岐阜県)にいた時も、住んでいた屋敷を梅花無尽蔵と呼んでいた。

更新日:2011-06-05 07:37:42

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