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9.竜仙坊と風輪坊

 道灌の遺体は城下に住む河原者らによって、近くの洞昌院(とうしょういん)に移された。
 銭泡を初め、道灌の供の者たちも皆、洞昌院内の宿坊に移った。鈴木兵庫助は道灌の死を伝えるため江戸城へと向かった。
 もう、日が暮れかかっていた。
 セミが喧しく鳴いていた。
 銭泡は境内にある大杉の根元に腰掛け、ぼんやりと考え事をしていた。
 道灌が亡くなった‥‥‥あまりにも突然、あまりにもあっけなく、道灌は亡くなってしまった。
 この先、どうなるのだろう‥‥‥
 江戸城はどうなるのだろう‥‥‥
 道灌の跡継ぎの源六郎資康(すけやす)はまだ十六歳だった。今は足利学校で勉学に励んでいる。果たして源六郎に江戸城が守れるのだろうか。鈴木道胤ら重臣たちがいるから大丈夫だとは思うが、何となく心細かった。
 万里はどうするのだろう。道灌がいなくても、あそこに住み続けるのだろうか‥‥‥
 わしは、どうしたらいいんだろう。江戸に腰を落着けて、お志乃と一緒に暮らすつもりだった。でも、道灌がいないのでは江戸にいてもしょうがないような気がする。
 様々な思いが浮かんで来たが、どれもこれも答えの出ない疑問ばかりだった。
 ふと、人の気配を感じ、振り返ると竜仙坊が立っていた。
「銭泡殿が心配していた事が起きてしまったのう」と竜仙坊は言った。
「まさか、殿が殺されるとは‥‥‥」
 竜仙坊は銭泡の側に腰を下ろすと、小石を拾い、信じられんと言いながら投げ付けた。小石は山門の柱に当たって二つに砕けた。
「あの殿が殺されてしまうとはのう‥‥‥」
 銭泡は竜仙坊の着物に血が付いているのに気づいた。
「竜仙坊殿、下手人は捕まりましたか」
 竜仙坊は首を振った。
「下手人は一体、誰なんです」
 竜仙坊はまた、首を振った。
「分からん。分からんが下手人は何者かに殺された」
「殺された?」
「殺され、殿の首を奪われた。しかも、下手人を殺して首を奪って逃げた男も何者かに殺され、首を奪われた」
「一体、どういう事です」
「分からん。分からんが下手人とわしらの他にも道灌殿を見守っていた、というより見張っていた者がいたという事じゃな」
「何者です」
 竜仙坊は首を振った。
 竜仙坊は祠(ほこら)の中から目撃した事を順を追って話してくれた。
 銭泡が祠の前から去って、ほんの少し経った時だった。湯殿の方で、ドサッという物音がした。悲鳴や道灌の声はなかった。
 竜仙坊はしばらく耳を澄ましていたが、その後、怪しい物音はなかった。様子を見ようと祠から出ようとした時だった。祠から正面に見える湯殿の塀を乗り越えて飛び出して来た者があった。片手に何かを抱えた山伏だった。とっさに、抱えている物は道灌の首だと悟った竜仙坊はその男の後を追った。山伏は土塁を登り、向う側に飛び降りると隠しておいた竹の棒を濠に渡し、その上を素早く走り去って行った。
 竜仙坊は土塁を下りると竹の棒を渡って後を追った。山伏はお屋形の北にある山王社の森の中に逃げ込んだが、その山伏を追っていたのは竜仙坊だけではなかった。
 竜仙坊は森の中で、首を持った山伏が二人組の山伏に殺されるのを目撃した。竜仙坊は二人にかかって行った。一人とやり合っているうちに、もう一人が首を持って逃げた。
 竜仙坊は一人の山伏を倒した。後で身元を聞くために殺しはしなかった。気絶させ、逃げられないように両足を斬った。首を持って逃げた山伏を捜したがどこにも見えなかった。それでも諦めず、後を追った。森を出た所で大山の方へ逃げて行く山伏の姿が見えた。竜仙坊は後を追った。何とか、逃げた山伏を捜す事はできたが、その山伏も殺され、道灌の首は何者かに持ち去られていた。誰がその山伏を殺し、首をどこに持って行ったのか、まったく分からなかった。
 竜仙坊は殺されている山伏を調べてみた。身元が分かるものは何もなかった。勿論、顔も知らない。首を下から斜め上に斬られ、顎も二つに割れていた。無駄だとは思ったが、さらに追って行くと、また、別の山伏が殺されていた。その山伏も身元が分からなかった。そこから先は完全に見失ってしまった。

更新日:2011-06-05 12:02:57

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