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まだ、木の香りのする茶室は四畳半ではなく六畳だった。床の間には山水画と墨蹟(ぼくせき)の二つの掛軸が掛けられ、唐物(からもの)の花瓶には様々な花が飾られ、香が焚かれてあった。床の間の隣りにある違い棚には、いくつもの茶碗や茶入れや茶壷(ちゃつぼ)など、茶道具がぎっしりと並んでいる。『佗び茶』とは程遠い飾り付けだった。
「これは、ほんの一部じゃ」と定正は笑った。
「まだまだ、あるんじゃが、ここには並びきらんのでな、しまってあるんじゃ。後程、そちらの方もご覧にいれよう」
「凄いものです」と銭泡は誉めた。
「掛け物の方は客殿の床の間の方にも飾ってある。そっちの方もご覧になって下され」
定正はお茶会は正午に始める。それまで、ゆっくりしてくれと言って、姿を消した。
「どうじゃな」
定正がいなくなると道灌が銭泡に聞いた。
「美しいものですなあ」
銭泡は定正の小姓に見とれていた。
「ほう。銭泡殿はそちらの方もおやりか」
「いや。ああいう小姓というものを身近に見た事がなかったものですから」
道灌は笑いながら、わしが聞いたのは茶室の方じゃと言った。
「そうでしたか、こちらも大したお茶室です」
「お茶室というより物置じゃな。やたら、物が並び過ぎて、それぞれの値打が下がってしまうわ」
「大名と呼ばれるお方には、あのような飾り付けをして、誇らしげに自慢する方々が多いようです。道灌殿のように本当の『佗び茶』を理解してくれるお方の方が少ないと言えましょう」
「そんなものかね」
「はい。やはり、数多くの名物を持っていると、どうしても、それを自慢して人に見せたくなるのでしょう」
「あのお屋形様に『佗び茶』を理解させるのは至難な事じゃろうのう」
「はい。難しい事と思います」
庭園内を見物して客殿に戻ると、仲居が風呂の用意がしてあるので、お茶会の前に、汗を流して、さっぱりするようにと伝えた。
まず、成高が風呂に入った。成高が戻ると道灌は銭泡に入れと言ったが、銭泡は遠慮して道灌に先に入って貰った。
道灌が風呂に行くと銭泡は庭に降りて散歩をした。風呂に行った道灌の事が心配だったが、どうする事もできなかった。
客殿の縁側に鈴木兵庫助と上原紀三郎の二人が控えているが、一緒に成高の供侍もいるため、道灌の事を守ってくれと言う事はできない。もしかしたら、すでに屋形内に潜入しているかもしれない竜仙坊と風輪坊を捜してみる事にした。木陰や岩陰をそれとなく捜してみたが、二人の姿は見つからなかった。
銭泡は庭を通って道灌のいる湯殿(ゆどの)まで行ってみようと思った。庭園内には見張りの侍はいないようだ。客殿の奥にある書院らしき建物を回ると湯殿らしい建物が見えた。板塀に囲まれて、中にはちょっとした坪庭があるようだ。
銭泡は塀の側まで行ってみたが、板の隙間からは竹や植木が見えるだけで、中まで覗く事はできなかった。湯殿の中からお湯を流す音が聞こえて来るので、道灌は無事のようだ。
湯殿の側、裏庭の隅に祠(ほこら)が二つ並んでいた。側まで行ってみると、一つは春日明神、もう一つは大山の石尊大権現(せきそんだいごんげん)が祀(まつ)られてあった。銭泡が合掌していると祠の中から声が聞こえて来た。銭泡はビクッと驚いたが、その声は銭泡の名を呼んだ。どうやら、竜仙坊が祠の中に隠れているようだ。
「道灌殿は今、湯殿におります」と銭泡は小声で言った。
「うむ、知っている」
「よく、このお屋形内に忍び込めましたね」
「なに、簡単じゃ。非常時ではないので警固の兵も少ない。表から侵入するのは難しいが、裏からなら簡単じゃ」
「というと風輪坊殿もすでに?」
「ああ。そこの書院の床下におるわ。曲者(くせもの)が湯殿に近付けば、すぐに分かる」
「そうですか、これで安心いたしました。道灌殿の事、よろしく、お願いします」
銭泡はそう言うと何事もなかったかのように客殿に戻った。
鈴木兵庫助が、朝昌が銭泡を捜していた事を知らせてくれた。銭泡が縁側に上がると、朝昌が部屋から出て来て声を掛けて来た。
「伏見屋殿、どこに行っていらした」
「はい。立派な庭園ですので、ちょっと、一回りしてまいりました」
「そうですか。実は伏見屋殿に目利きして貰いたいのですが」
「何をです」
「ちょっと来て下さい」
朝昌に付いて行くと、成高が床の間の前に座り込んで山水画の掛軸を眺めていた。
「これなんですよ。誰が描いたものですか。先程から左兵衛佐殿とあれこれ言ってましたが、結局は分かりません。兄上も教えてはくれんのですよ。唐物だという事は分かりますが、一体、誰が描いたものやら見当も付きません。伏見屋殿なら分かるだろうと思ったものですから」
「これは、ほんの一部じゃ」と定正は笑った。
「まだまだ、あるんじゃが、ここには並びきらんのでな、しまってあるんじゃ。後程、そちらの方もご覧にいれよう」
「凄いものです」と銭泡は誉めた。
「掛け物の方は客殿の床の間の方にも飾ってある。そっちの方もご覧になって下され」
定正はお茶会は正午に始める。それまで、ゆっくりしてくれと言って、姿を消した。
「どうじゃな」
定正がいなくなると道灌が銭泡に聞いた。
「美しいものですなあ」
銭泡は定正の小姓に見とれていた。
「ほう。銭泡殿はそちらの方もおやりか」
「いや。ああいう小姓というものを身近に見た事がなかったものですから」
道灌は笑いながら、わしが聞いたのは茶室の方じゃと言った。
「そうでしたか、こちらも大したお茶室です」
「お茶室というより物置じゃな。やたら、物が並び過ぎて、それぞれの値打が下がってしまうわ」
「大名と呼ばれるお方には、あのような飾り付けをして、誇らしげに自慢する方々が多いようです。道灌殿のように本当の『佗び茶』を理解してくれるお方の方が少ないと言えましょう」
「そんなものかね」
「はい。やはり、数多くの名物を持っていると、どうしても、それを自慢して人に見せたくなるのでしょう」
「あのお屋形様に『佗び茶』を理解させるのは至難な事じゃろうのう」
「はい。難しい事と思います」
庭園内を見物して客殿に戻ると、仲居が風呂の用意がしてあるので、お茶会の前に、汗を流して、さっぱりするようにと伝えた。
まず、成高が風呂に入った。成高が戻ると道灌は銭泡に入れと言ったが、銭泡は遠慮して道灌に先に入って貰った。
道灌が風呂に行くと銭泡は庭に降りて散歩をした。風呂に行った道灌の事が心配だったが、どうする事もできなかった。
客殿の縁側に鈴木兵庫助と上原紀三郎の二人が控えているが、一緒に成高の供侍もいるため、道灌の事を守ってくれと言う事はできない。もしかしたら、すでに屋形内に潜入しているかもしれない竜仙坊と風輪坊を捜してみる事にした。木陰や岩陰をそれとなく捜してみたが、二人の姿は見つからなかった。
銭泡は庭を通って道灌のいる湯殿(ゆどの)まで行ってみようと思った。庭園内には見張りの侍はいないようだ。客殿の奥にある書院らしき建物を回ると湯殿らしい建物が見えた。板塀に囲まれて、中にはちょっとした坪庭があるようだ。
銭泡は塀の側まで行ってみたが、板の隙間からは竹や植木が見えるだけで、中まで覗く事はできなかった。湯殿の中からお湯を流す音が聞こえて来るので、道灌は無事のようだ。
湯殿の側、裏庭の隅に祠(ほこら)が二つ並んでいた。側まで行ってみると、一つは春日明神、もう一つは大山の石尊大権現(せきそんだいごんげん)が祀(まつ)られてあった。銭泡が合掌していると祠の中から声が聞こえて来た。銭泡はビクッと驚いたが、その声は銭泡の名を呼んだ。どうやら、竜仙坊が祠の中に隠れているようだ。
「道灌殿は今、湯殿におります」と銭泡は小声で言った。
「うむ、知っている」
「よく、このお屋形内に忍び込めましたね」
「なに、簡単じゃ。非常時ではないので警固の兵も少ない。表から侵入するのは難しいが、裏からなら簡単じゃ」
「というと風輪坊殿もすでに?」
「ああ。そこの書院の床下におるわ。曲者(くせもの)が湯殿に近付けば、すぐに分かる」
「そうですか、これで安心いたしました。道灌殿の事、よろしく、お願いします」
銭泡はそう言うと何事もなかったかのように客殿に戻った。
鈴木兵庫助が、朝昌が銭泡を捜していた事を知らせてくれた。銭泡が縁側に上がると、朝昌が部屋から出て来て声を掛けて来た。
「伏見屋殿、どこに行っていらした」
「はい。立派な庭園ですので、ちょっと、一回りしてまいりました」
「そうですか。実は伏見屋殿に目利きして貰いたいのですが」
「何をです」
「ちょっと来て下さい」
朝昌に付いて行くと、成高が床の間の前に座り込んで山水画の掛軸を眺めていた。
「これなんですよ。誰が描いたものですか。先程から左兵衛佐殿とあれこれ言ってましたが、結局は分かりません。兄上も教えてはくれんのですよ。唐物だという事は分かりますが、一体、誰が描いたものやら見当も付きません。伏見屋殿なら分かるだろうと思ったものですから」
更新日:2011-06-05 10:41:20