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5.道灌の側室、およの

 江戸城に戻って来た銭泡は、道真から聞いた事を道灌に話した。
「親父の取り越し苦労じゃ」と道灌は笑いながら言った。
 心配している様子は少しもなかった。
 配下の山伏を使って、管領(かんれい)の山内(やまのうち)上杉顕定(あきさだ)やお屋形の扇谷(おおぎがやつ)上杉定正を見張らせているという。管領殿やお屋形様を見張りたくはないが、何が起こるか分からない時勢なのでしょうがない。わしの事は大丈夫だから心配するなと言われた。
 この道灌なら手抜かりはないだろう。道真の取り越し苦労に違いないと銭泡も思った。父親にすれば、やはり、息子はいつまで経っても子供のままで、心配でしょうがないのだろう。道灌もすでに五十歳を過ぎている。回りが自分の事をどう思っているかを見抜き、そのための準備は怠りなくやっている。心配する必要もなかった。
 その時以来、銭泡はその事は忘れた。
 暑い日の昼下り、銭泡は道灌の家族の住む香月亭を訪ねていた。
 香月亭には側室のおよのと道灌の子供たちが住んでいた。道灌の奥方様は熊野参詣の旅に出掛けていて留守だった。家臣たちの奥方たちと連れ立って、遠く紀伊の国(和歌山県)まで、物見遊山(ものみゆさん)の旅に出掛けているという。
 およのは銭泡が訪ねて来てくれた事に大喜びだった。銭泡は、およのが道灌の側室になった頃の事をよく知っていた。
 十年前、銭泡がここに滞在していた頃、駿河の守護、今川義忠が戦死して家督争いが始まった。道灌はお屋形の扇谷上杉定正の命によって、今川家の内訌を治めるため駿河に向かった。銭泡も義忠には世話になった事があったので一緒に出掛けた。
 駿河で道灌は今川家の重臣たちに歓迎され、今川家の重臣が道灌の身の回りの世話をするために付けたのが、およのだった。およのの他にも家臣たちの娘が大勢、用意されたが、道灌はおよのだけが気に入り、およのも道灌が気に入ったとみえて江戸まで付いて来て、そのまま、側室に納まった。その後、およのは道灌の四男を産み、梅千代と名付けられた、その男の子は九歳になっていた。
 銭泡はおよのとの再会を喜び、男の子が生まれたのはめでたいとお祝いを言った。しかし、めでたい事ばかりではなかった。何と、道灌の長男、鶴千代が九年前に病気で亡くなっいた。十二歳だったという。銭泡が江戸城を去ってから翌年の事だった。道灌は長男を失った悲しみから出家してしまったのだとおよのは言った。
 鶴千代の事は銭泡もよく覚えていた。母親に叱られながらも、城の中を走り回って遊んでいた可愛い男の子だった。その子が、すでにいないとはとても信じられなかった。道灌としても、三十歳を過ぎてやっと生まれた男の子だったので可愛がった事だろう。長男を失った道灌の悲しみは銭泡にもよく分かった。道灌が頭を丸めた理由もよく理解できた。
 長男の鶴千代が亡くなったため、十六歳になる次男の源六郎資康(すけやす)が跡継ぎとなっていた。源六郎は今、足利学校に行っているという。父親、道灌と同じように、名将になるために足利学校で勉学に励んでいるのだろう。
 香月亭にいたのは道灌の四女で十四歳になるお浜と、およのと梅千代だけだった。お浜の上に三人の姉がいるが皆、嫁に行ってしまっている。上の二人の姉は十年前に来た時、すでに嫁に行っていたので銭泡は知らないが、お浜の上の姉、お菊は知っていた。あの頃、まだ十歳にもなっていなかったのに、今は嫁に行っていない。当然と言えば当然な事だが、十年という月日はあらゆるものを変えてしまうものだとしみじみと感じていた。
 銭泡とおよのは屋敷の縁側に腰掛けて、懐かしそうに話をしていた。お浜と梅千代は万里の家の方に遊びに行った。丁度、同じ位の子がいるので仲良く遊んでいるという。

更新日:2011-06-05 08:51:52

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