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二つの今川家

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 梅雨が始まった。
 今川家は二つに分かれたまま膠着(こうちゃく)状態に入っていた。
 三浦次郎左衛門尉が寝返った後、岡部美濃守の義弟の由比出羽守が孤立して、小鹿派に寝返った。美濃守としても寝返らせたくはなかったが、どうする事もできなかった。今川家は阿部川を境にして、二つに分かれてしまっていた。
 梅雨が始まってから五日後、備前守派だった天野兵部少輔が竜王丸派に寝返った。遠江にいる今川家の者たちが皆、竜王丸派となり、兵部少輔の犬居城を包囲されては寝返ざるを得なかった。兵部少輔は初めから本気で備前守を押していたわけではない。今川家を分裂させるために備前守派に付いただけだった。自分の本拠地が危なくなっている今、いつまでも備前守に付いて遊んでいる場合ではなかった。
 兵部少輔は簡単に備前守を捨てて竜王丸派の本拠地、青木城に移って来た。見捨てられた備前守は上杉治部少輔を頼らざるを得なくなったが、当の治部少輔は摂津守を説得に行くと出掛けたまま、青木城から戻っては来なかった。誰からも見放され、孤立した備前守は茶臼山城下の屋敷に閉じこもったまま毎日、やけ酒を浴びていた。
 竜王丸派からも、小鹿派からも、今川家の長老として迎えるから、との誘いが掛かったが、自分を見捨てた家臣たちのいる所に戻りたくはなかった。しかし、やがて気持ちが落ち着くとお屋形様の座を諦め、長老として今川家のために生きようと決心し、頭を丸めて棄山(きざん)と号し、小鹿派に迎えられた。棄山の山は富士山を現し、今川家の家督を富士山に例えて、自ら富士山を放棄して、禅境に入った事を意味していた。
 備前守は小鹿派となったが、茶臼山の裾野に陣を敷いている上杉治部少輔は相変わらず、中立のまま今川家をまとめようと張り切っていた。とは言っても、小鹿派の駿府屋形に行っては御馳走になり、竜王丸派の青木城に行っては御馳走になっているだけで、成果はまったく上がらなかった。
 早雲は早雲庵の縁側から降る雨を眺めていた。
 小太郎、富嶽、多米、荒木らも皆、戻って来ている。
 小太郎はお雪と一緒に浅間神社の門前町の家を引き払っていた。三浦一族の者たちがお屋形から消えて以来、葛山備後守は近くに敵の隠れ家があるに違いないと浅間神社の門前も捜し始めた。小太郎はお雪の身を案じて、しばらくの間、引き払う事にした。さらに、北川殿も長谷川屋敷に隠れている事が敵に知られて危険が迫り、朝比奈氏の本拠地の朝比奈城下に移っていた。お雪は北川殿を守るため、朝比奈城下の北川殿のもとに侍女として入っていた。
「備前守殿が小鹿派になったか‥‥‥」と早雲は縁側から雨を眺めながら言った。
「仕方あるまい」町医者姿の小太郎は縁側に寝そべっていた。「茶臼山は阿部川の東じゃからのう」
「これから、どうするんです」と久し振りに絵師に戻った富嶽が、早雲と小太郎の顔を交互に見た。
「遠江の者たちが戻って来れば、竜王丸派は圧倒的に有利な立場に立つ事となるのう」と小太郎は言った。
「しかし、戦を始めるわけには行かん。それこそ、葛山や天野の思う壷に嵌まる事となる」と早雲は言った。
「戦を起こさずに、今川家を一つにまとめるとなると難しい事じゃのう」と富嶽は言った。
「四つに分かれていたものが二つになった。後は二つを一つにまとめるだけじゃ」と早雲は気楽に言った。
「簡単に言うが難しい事じゃ」と小太郎は腕枕をしながら早雲を見た。「二つを一つにするという事は竜王丸殿をお屋形様にして、小鹿新五郎を後見にするという事になるが、そうなると、小鹿派は賛成するかもしれんが、摂津守派が黙ってはおるまい。竜王丸派がまた二つに分かれる事になるぞ」
「確かにのう。摂津守派ではなく、小鹿派と手を結べば良かった、と今になって思うが、あの時点の状況では竜王丸派と小鹿派が手を結ぶという事は難しかったからのう」
「そいつは無理じゃ。葛山の奴が絶対に反対するに決まっておる」
「ああ。手を結ぶのが難しいとなると、残るは葛山播磨と福島越前を仲間割れさせ、どちらかを寝返らす事じゃな」
「どちらを寝返らすのです」と荒木が富嶽の後ろから顔を出した。
 多米も一緒にやって来て話に加わった。
「さあのう」と早雲は首を振った。
「いよいよ、切札を使うか」と小太郎は早雲に聞いた。
「切札か‥‥‥」と早雲も頷いた。
「何です、切札とは」と多米が興味深そうに聞いた。
「長沢じゃ」と早雲は遠くを眺めながら言った。

更新日:2011-05-29 15:44:04

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