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手塚の衝撃(短編)

手塚は、朝の悪夢を幻と断定した。
高校3年生、まだまだ青春まっさかりの17歳。それはあるはずのないタチの悪い幻覚であろう。昨夜遅くまでゾウリムシの繊毛とミドリムシの鞭毛がどのように違うのかについて、考えすぎていたのがまずかったのだ。繊毛と鞭毛の違いは数の違いだ。2本以上なら鞭毛なのか、3本だったら繊毛なのか。ええい、ゾウリムシの繊毛を全て数え上げてやると意気込んで、ありとあらゆる資料を漁り、その統計を出していた。無数の毛ばかりが頭の中でぐるぐる蠢く。それが脳と目に悪影響を及ぼしたとしか考えられない。

枕が一面の毛で覆われていたことなど、悪夢か幻覚か、そうでなければ、0.1しかない視力がさらに落ちたかのどれかにしか可能性はない。

鏡で見た自分はいつも通りだった。
寝癖にはねた髪はライオンのように四方八方に立ち上がり、触った感触もふかふかで、昨日の朝となんら変わったところはない。ただ、後ろへ手の伸ばすのだけは少々ためらい、くしも遠慮がちにそおっとすいた。

いつものワックスで、寝癖でセットされた髪をキープしようと手を伸ばし、悩んだ挙句にやはりつけることにした。

とろんと眠たげな目は、朝だから仕方ない。
小学3年の時、芝生のようだと先生からなでなでされた頭は、健康的に芝生然としてそこにある。色白の肌にマッチした、青々とした牧草地を思わす草原ヘアー。うん。今朝もイケメンだ。問題ない。

電車内、通学路、特に気になることはなかった。
しかし授業中、いつもの授業崩壊メンバーが、いつにも増してやたら煩い。ノートなど取らないくせに、「黒板が見えねぇ」とケチをつける。これぐらいなら、いつものことだ。なんだかんだとケチをつけては、相手の反応を見て悦ぶかわいそうな連中なのだ。しかし、次の瞬間、手塚ははたと戦慄を覚えた。

「そこのハゲ、見えねぇんだよ」

いやいや、あれはただのたわ言だ。
連中は所詮は授業崩壊メンバー。いちいち相手にしてやる必要はない。連中は自分に嫉妬しているだけだ。一緒になって授業崩壊を促進させ、生物教師を大泣きさせた上で担任からこっぴどく叱られるという失態を犯しながらも、自分だけちゃっかり成績トップを走ったことに不満を募らせているだけだろう。

「俺、勉強なんかしねぇよ」と言い張った仲間内、本気で突っ走った若干1名のバカは、赤点ぎりぎりで片手で崖にぶら下がる状況となり、特に根に持っている。

「手塚ぁ、女に囲まれて嬉しいか」
「今、おまえ女いないから飢えてんだろ?どっから手ぇつけるつもりだよ」

やたら絡む。今日は特にいらいらが激しいようだ。
授業崩壊チームSHO&RYUは、仲むつましげにぴたりと席を寄せ合っていた。机の下ではこっそり手と手を握り合い、言葉ない語らいに頬を染めていたのだが、それを生物の独身女に見咎められてからかわれたことにより、心に深手を負ったのだ。

彼らがわざと悪がきぶるには、そうした秘密も隠されていた。
誰にも知られてはならない、たった2人だけの秘密。それを隠すには、どうしようもない悪がきツートップの汚名を被る以外、他に道はなかったのである。

「見えねぇよ、ハゲ」
「頭下げろよ、ハゲ」
「どっか行けよ、ハゲ」

さすがの手塚も頭に来た。
だんとイスを蹴り上げて、立ち上がり、鼻息も荒くSHO&RYUに立ち向かう。「ちょっとちょっと、席ついてよ。授業中だよ」ぼんやりした教師の言葉など、耳には入らぬ。

「俺のどこがハゲだってんだ」
ぎろりとねめつけ、悪がきツートップも多少はたじろいだ様子だった。
しかし、さすがはSHO&RYUこれしきで負ける二人ではない。ぎろりと負けずにねめつけて、背後の女子生徒から鏡を奪った。化粧中の女子生徒が抗議する。

「見てみろよ、ハゲ」
「リーブ21に行けよ、ハゲ」

合わせ鏡の中に、見慣れぬ後頭部が映し出された。
ぱくりと割れた草原ヘアー。その中央部に、10円状の白い地肌が満月のようにくっきりと、浮かび上がっていたのである。


手塚の衝撃 (了)

更新日:2012-01-26 20:22:04

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