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小野屋

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 懐かしかった。
 飯道山の山頂を風眼坊は感慨深げに眺めていた。
 ここに来るのは、実に四年振りの事だった。
 あの時、弟子の太郎と花養院にいた楓の祝言を行なった。早いもので、あれから四年という歳月が流れていた。あの後、二人は故郷の五ケ所浦に帰ったが、また戻って来た、というのは風の便りで聞いていた。
 きっと、もう子供もいるに違いない。どんな子供だろう、会うのが楽しみだった。
 中でも一番の楽しみは、何と言っても、息子、光一郎の成長振りを見る事だった。太郎のもとで、どれだけ腕を上げたのかを見るのが一番の楽しみだった。
 風眼坊がそんな事を思いながら飯道山を眺めている時、連れの疋田豊次郎は息を切らしながら、ようやく風眼坊に追い付き、景色を楽しむどころではなかった。
 五日前に二俣本泉寺を出て来た二人は、かなり、きつい旅をして来ていた。豊次郎は風眼坊に付いて行くのがやっとだった。それでも、風眼坊にしてみればのんびり歩いているつもりだった。
 昨日、琵琶湖を舟で渡り、目的地が目と鼻の先の距離になると、風眼坊は知らず知らずのうちに急ぎ足となって行った。
 風眼坊は琵琶湖側から阿星山(あぼしさん)の山頂を目指した。かなり急な山道を風眼坊は走るような速さで登って行った。豊次郎にはとても付いて行けなかった。風眼坊は少し登っては豊次郎を待ち、また歩き始めた。飯道山へと向かう奥駈け道まで来て、飯道山を眺めていたのも豊次郎を待っていたのだった。豊次郎が来たので先に進もうとしたが、豊次郎が少し休ませてくれと頼んだので少し休む事にした。
 実に懐かしかった。
 何度、この道を行ったり来たりした事だろう。光一郎もこの道を一ケ月間、歩き通した事だろう。もしかしたら、太郎と一緒に百日間、歩いたかもしれなかった。ひょっとしたら、今、この道を歩いているかもしれない。どこかで、ばったり出会うかもしれない。何となく照れ臭いような気もするが、早く、光一郎に会いたかった。
「先生、まるで、山伏のようじゃのう」と息を切らせながら豊次郎は言った。
「そうか、おぬしにはまだ言ってなかったのう。わしは医者でもあるが、大峯の山伏でもあるんじゃ」
「何だって! それならそうと言って下さいよ。わしは先生がただの医者だと思っておったから、医者なんかに負けるものかと今まで付いて来たけど、先生が山伏なら、かなうわけない。もう、くたくたで足は棒になってますよ」
「もうすぐじゃ。頑張れ」
「付いて来るんじゃなかったわ」
「そう言うな。このお山はのう、有名な武術道場なんじゃよ」
「武術道場?」
「ああ。おぬしも、かなり使いそうじゃが、このお山には、おぬし程の腕を持っておる奴らは、ごろごろおる。そういう所を見ておくのも、この先、何かのためになろう」
「飯道山とか言ったか、この山は」
「ここは、まだ阿星山じゃが、あそこに見えるのが飯道山じゃ。おぬし、越前の一乗谷で武術指南をしておる大橋勘解由(かげゆ)というのを知っておるか」
「ええ、名前だけは」
「奴も若い頃、ここで修行をしておるんじゃ」
「へえ。わさわざ、あんな所からも来ておるのか」
「ああ、最近はかなり遠くからも来ておるらしいの。実はのう、わしの伜もここにおるんじゃよ。ちょっと一目会いたくてのう」
「へえ。先生にそんな大きな子供がおったんですか」
「まあな。おぬしの方はどうなんじゃ。子供はおるのか」
「ええ、十歳になる男の子がおります」
「ほう。おぬしにもそんな大きな子がおったのか」
「はい。この間、久し振りに会ったら驚く程、大きくなっていました」
「そうか、子供の成長は早いからのう。そうじゃ、おぬしもその子が十七、八になったら、このお山に入れるがいい。これからは加賀も大変じゃ。まず、強くなければ生きて行けんようになるぞ」
「ええ、確かにそうですね」
「まあ、ここで、どんな事をやっておるか見て行けばいい」
 二人は飯道山の山頂から飯道寺へと下りた。

更新日:2011-05-23 10:32:42

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