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蓮台寺城

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 いつの間にか、雁(かり)の飛ぶ季節となっていた。
 山々の樹木は色づき始め、朝夕はめっきりと肌寒くなって来た。
 紅葉に映える山の中を、風眼坊は休む暇もなく、本泉寺に向かっていた。
 甲賀に行った風眼坊と豊次郎は、小野屋の手代、平蔵と新八の二人を連れて、吉崎に戻って来た。とりあえず、豊次郎と手代二人を蓮崇の多屋に預け、風眼坊は抜け穴を通って御坊に顔を出した。蓮如の妻、如勝に会うと、蓮如を二十五日の講までに戻してくれと頼まれた。今日は十八日だった。ゆっくりしている暇はなかった。風眼坊はすぐに、その足で本泉寺へと向かった。
 途中、大勢の本願寺門徒が待機している野々市の守護所に寄って蓮崇と会い、蓮崇と共に馬に乗って本泉寺に向かった。本泉寺に着いたのは二十日の日暮れ時だった。
 西の空が今回の戦で流れた出た血のように真っ赤に染まっていた。
 蓮崇はあまりにも早い、風眼坊の帰りに驚き、また、武器が何とかなりそうだと聞くと、なお一層、驚いた。武器が手に入るのは早くても二ケ月は掛かるだろうと覚悟していた。
 籠城戦に入って、もうすぐ一月になり、蓮台寺城を囲んでいる門徒たちの間に厭戦(えんせん)気分が現れ出ていた。彼らは正式な武士ではないので、何もしないで、ただ敵を囲んでいるという事が、よく理解できず、辛抱できなかった。何もしないで、こんな所にいるのなら、さっさと帰って仕事をした方がずっとましだと思っている。せっかく実った稲は、すべて刈り取られ、兵糧米として取り上げられてしまい、戦が終わったとしても、この先、どうしたらいいのだ、という不安を誰もが感じていた。その不安は戦の士気にも影響して来た。
 蓮崇は武器の事は諦め、犠牲者がかなり出る事を覚悟して、早いうちに総攻撃を掛け、戦を終わらせなければならないと考えていた。しかし、風眼坊から、武器が十月の中頃までには着くだろうと言われ、それまで待ってみる事にした。
 風眼坊、蓮崇、蓮如、お雪、十郎の一行は舟で森下川を下って日本海に出ると、大型の船に乗り換え、海路、吉崎に向かった。
 二十四日の晩には無事に吉崎御坊に戻り、蓮如は書斎に籠もり、蓮崇は小野屋の手代と会っていた。お雪は如勝を手伝い、明日の講の準備に忙しく働き、十郎は長い船旅に疲れて気分が悪いと休んでいる。風眼坊は蓮如の書斎の隣の部屋に控えていたが、風眼坊もいささか船旅に疲れていた。やはり、海よりも山の方が風眼坊には合っていた。
 籠城戦に入って一月が過ぎていた。
 包囲している本願寺方は何もしないで、ただ包囲していただけではなかった。やるべき事は充分にしていた。まず、倉月庄の郷士たちによる寝返り作戦は順調に進み、北加賀の国人や郷士たちは、ほとんど蓮台寺城を抜け出して本願寺門徒となっていた。
 七月の末の決戦の時は三万近くの兵がいた蓮台寺城も惨めなもので、今は一万余りに減っていた。囲む次郎、本願寺連合軍は五万人を越していた。確かに、兵力には問題なかったが、一つの城を落とすのは、そう簡単にできるものではなかった。挑発して外におびき出して戦おうと試みたが、敵は矢を射るのみで外に出て来ようとはしなかった。また、金掘り衆を使って、穴を掘って城に潜入し、敵の兵糧米を燃やしてしまおうとも考えたが、この辺りは地盤が緩く、穴を掘っても、すぐに崩れてしまった。
 籠城する敵方は、寝返り者が続出しているとはいえ、残っている者たちは団結を固め、後詰(ごづ)めが来る事を信じ、士気が落ちているようには見えなかった。

更新日:2011-05-23 13:01:19

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