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風間光一郎

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 正月も十日が過ぎたというのに、門前町はやけに賑やかだった。
 祭りさながらに参道脇に露店が並び、人々が行き交っている。
 着飾った村の娘たちが道端に固まって、キャーキャー騒いでいたり、まだ昼間だというのに、遊女屋の前では遊女たちが客を呼んでいる。
 行き交う客はほとんどが、十七、八の若い男たちだった。彼らはぞろぞろと飯道山の赤鳥居をくぐって参道を登って行く。また、山から下りて来た者たちは店を見て回り、中には遊女屋に入って行く者もいる。
 参道脇に出ている露店は武具を扱っている店が多かった。太刀や打刀(うちがたな)、小刀、匕首(あいくち)、槍、弓矢、薙刀、長巻(ながまき)など、あらゆる武器が並んでいるが、それらの数は少なく、木剣や六尺棒、稽古用の槍や薙刀がずらりと並んでいる。そして、それら稽古用の物が良く売れているようだった。
 文明五年(一四七三年)正月の十四日、春のような暖かい日だった。例年のごとく、明日から始まる飯道山の武術修行の受付が今日だった。
 年々、集まって来る修行者の数は増えていった。世の中はどんどん物騒になって行く。強い者が生き、弱い者は滅ぼされるという時代になりつつあった。
 比較的平和だった、この甲賀の地にも戦乱の波は押し寄せて来ていた。
 近江国内で京極氏と六角氏が争い、一進一退で決着は着かず、六角氏は敗れると度々、甲賀の地に逃げ込んで来ていた。六角氏が逃げ込んで来れば、当然、敵の京極勢が攻め寄せて来る。田畑は荒らされ、民家は焼かれたり破壊された。飯道山の山伏たちも六角勢に加わり、戦に出て京極勢と戦い、活躍する者もあれば討ち死にする者も何人もいた。
 また、甲賀内での争い事も増えて来ていた。狭い領地の奪い合いで、親子、兄弟が争ったり、隣人の領地をふいに奪い取ったり、隙や弱みを見せれば、たちまちのうちにやられてしまう。
 他人は勿論のこと、身内さえも信じる事のできない殺伐な時代になって来ていた。生き残るために、誰もが強くなりたいと思い、この山にやって来た。
 以前は、ここに集まって来る若者たちは、ほとんどの者が地元甲賀の郷士の伜たちだった。しかし、去年あたりから、遠くの地から旅をして来る若者たちが増えて来ている。隣の伊賀の国の者はもとより、大和(奈良県)、美濃(岐阜県)、尾張(愛知県西部)の国からもはるばると修行に来ていた。
 ここにも一人、いかにも田舎から出て来たというような若者が目をキョロキョロさせながら、飯道山を目指して歩いていた。継ぎはぎだらけの綿入れの袖なしを着込み、太い木剣とボロ布に包んだ荷物を背負い、不釣合いな真新しい笠を被っている。若者はそんな格好など気にもせず、ウキウキと浮かれていた。その若者は、すぐ前を歩いている若者に声を掛けた。
「あの山かのう、飯道山ゆうのは」
 声を掛けられた若者は、ちらっと笠を被った若者を見て、「だろうな」と答えた。
「そうか、やっと、飯道山に来たんや‥‥‥」
 若者は立ち止まり、笠を持ち上げ、感慨深げに飯道山を見上げた。
「あの山に、愛洲殿がいる」と若者は独り、呟いた。
 この若者、伊勢の都、多気の百姓の伜、宮田八郎であった。去年の春、太郎が多気に行った時、川島先生の町道場で出会い、強くなりたいなら甲賀の飯道山に来い、と太郎に言われ、あれから一心に働き、金を溜めて、とうとう、やって来たのだった。多気の都は田舎ではない。『伊勢の京』と呼ばれる程の都振りだ。しかし、この八郎には、そんな都振りはかけらもなかった。
 八郎は腕を組み、独りで頷きながら飯道山を見上げていた。
「確か、愛洲殿は、あの山では太郎坊という山伏だって言ってたな‥‥‥待ってて下されや、太郎坊殿、宮田八郎、とうとう、やって来ただよう」
 八郎は急に走りだし、飯道山へと向かって行った。

更新日:2011-05-18 14:26:03

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