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第一章

挿絵 640*452

「マクシミリヤンは四人の子供達の一番上でした; 彼には一人の弟と二人の妹がおりました。 私達の父親は、アルトワ地方の顧問弁護士でした; 彼はアラス市に住んでおり、誠実さと徳の高さにより大きな名声を馳せておりました; 彼は全市の誉れと敬愛の的でした。 しかし私達は不幸にも、母親の深い愛情と優しい面倒を最も必要としていた、いたいけな年齢の時に、母を失いました; マクシミリヤンはわずか7歳でした; 私は彼より20ヶ月年下でした; 私達の弟は2歳になったばかりでした; 私の記憶では彼はまだ授乳の時期でした。 私達の妹は3歳か4歳だったと思います。
「私は幼少でしたが、今も母のことを覚えており、その思い出は、60年以上経った今でも、あたたかい涙で私の目をぬらします。 あの素晴らしい母の思い出を忘れることなど、誰が出来るでしょうか! 彼女は私達のことを本当に愛してくれました! マクシミリヤンも、熱い感情なくして彼女のことを思い出すことは出来ませんでした; 私達が水入らずで会い、母の事を語り合う時、彼の声は変わり、目に涙があふれました。 彼女は母としてのみならず、妻としても素晴らしい存在でした。 彼女の死は、私達のかわいそうな父親にとってもひどい衝撃でした。 彼が慰められることはなく、何も彼の悲痛を和らげることは出来ませんでした; 彼はもはや訴訟には携わらず、仕事をすることもなく、ただ悲しみにすり減らされていくだけでした。 人々は彼に、悲しみを癒すためにしばし旅に出ることを勧めました; 彼はその勧めに従い旅に出発しました; しかし、何という事でしょうか、私達は二度と彼に再会することはありませんでした; 血も涙も無い死は、私達から彼を奪い去りました、母を奪い去ったように。 彼がどの国で亡くなったのか、私は知りません。 彼は多分耐え難い悲嘆に押しつぶされてしまったのでしょう。
(挿絵:シャルロット幼少時代のアラス市中心部)

更新日:2011-06-05 15:37:23

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シャルロット・ロベスピエールの回想録 - 和訳と解説