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第5話 笹川真砂子の事情

今家族はバラバラに生活をしている。
父は、精密部品などの工場の社長で、腕利きではあったが、道楽が過ぎて、酒癖と女癖が悪いし、経営も傾き始め、弟はそんな父に反発し、高校を中退して音信不通。母は、朝から晩まで、工場の切り盛り、夜は、皿洗いをして深夜に帰宅。真砂子も高校に通いながらアルバイトをして、家計を支えていた。
高校を卒業間近に控えたある日、父は知り合いの会社の保証人になっていて、その会社の借金を抱えてしまった。
それでなくても傾いていた工場を泣く泣く手放し、父は別な工場で雇われの身になっても、生活は変わらなかった。母は、旅館の仲居を住み込みでして居て、それでも残った借金を返済するために、真砂子は、大学進学を諦め、住み込みで働ける仕事を探し、家政婦としてこの家に来た。
その当時、真砂子には、バイト先の2才年上の伸雄という青年と真剣なお付き合いをしていた。手を握ることもなく、たまに映画に行くくらいしか真砂子には、時間がなかった。それでも、家政婦として働き出してからは、電話すら出来ず、毎日のように文通で愛を育んでいた。真砂子の部屋には、テレビもなく、ラジオと山ほどの手紙と私服も数少なく、贅沢一つせず、すべて実家の借金返済にあてて居た。
いつも黒いワンピースに家事をするときは、黒のエプロン。食事の支度には、白のエプロン。
翔太郎でも分かりやすい、馴染みの服装だった。
住み込み始めは、まだ夫婦には子供はなく、会社には妻・光代も経営に参加していた。そして、会社経営がかなり軌道に乗りだした頃、光代が30才にしてやっと翔太郎を授かった。
元来家事の苦手な光代は、翔太郎を産んだだけのような生活だった。真砂子は、光代の代わりに夜昼なく翔太郎の世話をしていた。一応昼間は、母をしていたが、3才になる前から、外の世界へはばたき始めた。
会社経営を軌道に乗せたのは光代で、セレブの世界も彼女には、経営戦略の場になっていたので、真砂子は、益々忙しくなっていった。それでも、早く借金を返して、伸雄とは、すでに結婚の約束を交わし、正式に借金を完済したら、婚約をして、この家を去ることを心に秘め、堪え忍んでいた。翔太郎が5才の夏。後2年だった。


2006/10/20 (金)

更新日:2009-01-06 19:12:37

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