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風の回廊>水の記憶>奇跡は躊躇を繰り返す

挿絵 99*150

奇跡は躊躇を繰り返す…
 小諸の原田牧場を佐代子は一人で切り盛りしている。夫は町の役職に忙殺されてあてにならない。酪農の研修生を何人も受け入れてるから、その世話も佐代子の仕事で、皆が寝静まった夜になって、やっと風呂に入る。風呂から出て階段の下を通ると、ふっと二階の娘の部屋へ入ってみる気になった。昨夜遅く、一人娘の聖子が、『初恋の人に逢いに行く』と言い残して出かけた。なぜあと時、私の昔の古いブールを履いて出掛けたのだろうか?聖子の部屋の窓を開け、町の明かりを眼下に見下ろすと、冬の星空なのに粉雪が舞ってくる。(冷えてきたわ…)佐代子が窓を閉めようとした時、下から微かに、懐かしい草笛の音が響いてきた。(まさか!そんなっ、まさか!)空耳かと疑った。しかし確かに草笛の音は闇から湧いてくる。瞬時に佐代子は草笛の意味を理解した。(娘の聖子が私の助けを待ってる!)…

 横浜大桟橋、幸子は幼な友達の千尋を見送るためにバイカル号に向かって手を振っている。千尋は教会の神父の紹介だというスエーデンの男性と結婚するため、たった一人で船に乗り込んだ。見送りも幸子ひとりだ。(なぜシベリア鉄道?)(だって、お金、無いから)(あれ?そのブーツ、佐代子と同じの?)(そうよ。よくおぼえてるじゃん)そんな親友が愛しくて、幸子は必死に涙を堪える。千尋の姿が見えない船に向かって、いつまでも手を振る。突然っ、艦のドラが大音響で幸子の鼓膜を破った。低血圧症の幸子はその場に崩れ落ちそうになる。意識を失いかけ、天を見上げた幸子の目に粉雪が舞ってくる。『だめよ!だめよ!来ないで…』ドラの残響が女性の声に変わり、朦朧となった自分の体が、大柄な二人の男性に抱えられるのを微かに記憶に残した…イブ、奇跡は躊躇を繰り返す12/09

更新日:2009-01-10 15:55:49

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