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卵が先か? 鶏が先か?

 
 先日の強風で空を飛んだ人はいませんか?

 今度生まれてくる時は鳥になりたい…鶏以外の。

 こんばんは、鳳仙花です。
 花言葉は「Touch me not(私に触れないで)」ですが、ぜひ気軽に触れていってくださいませ。

 さて、似っ非ーを始めてからこちら、なかなか更新出来ずにいるのには大いなる理由があります。
 現在、長編を一つと、短編を一つ書いています。

 長編の方はかれこれ三年半以上書き続けているので最早生活の一部です。ストーリーはラストまで出来ているのに細かく描写しすぎて話が進みません。(笑
 でもこれはあるゲームの二次小説なのでここで公開する日は来ないと思います。

 短編の方は、最近降って来た物語です。
 これはここで公開したいと思っていま執筆中なのです。しかし予想よりも遥かに長くなってきたのが予想通りです。私はいつもそう!
 仙花には珍しいかもしれない戦記物になります。
 完成したら体裁を整えながら連載しようと思います。完成が見えない内に連載を始めたくないその理由はまた別の機会に熱く語りたい…そう思う方は明日の9時に国会議事堂の外へ集合です。おやつはバナナです。

 さて、更新できない理由と上記が実質あまり関係ないことは今こうして駄文を綴っていることからも明らかですね。はは。
 言い訳タイムはこの辺にして、本題に入りましょう。

 今日のテーマ

 【物語が先ですか? 小説が先ですか?】

 〝…?〟と疑問符を浮かべている画面の前の貴方! 目ヤニ付いていますヨ。あ、そっちじゃない、逆の眼。
 はい、OKです。
 
 こほんっ。
 …物語は生まれるものなのか、それとも組み立てるものなのか、私はいまその不思議を考えています。
 実はしばらく前までは、作家は誰でも心の中に生まれた(頭に降って来た)物語に姿を与えるために文字へと変えていっているのだ…と思っていました。
 ゆえに、そこに存在する物語こそが最も大切で、文章は道具のようなものだと考えていたんです。
 しかしっ
 ひょんなことから、さるお方のこんな言葉に出会いました。

 「私は文章を書くことが好き。何でもない場面を言葉の力で面白く描けるようになりたい。」

 正確ではありませんが、こういう感じの想い。
 瞬間、私の背後に轟いた雷光が想像できますか?(出来るわけないですよね…)
 私はこの時、小説というのは二つの顔を持っていたんだ!と教えられたのです。
 言ってみれば漫画も映画も同じなのでしょうけれど、つまり〝作家〟には二つの生き様があるのかもしれない…と。

 物語のために技術が存在する作家。

 技術のために物語が存在する作家。

 私の小説との関わり方は間違いなく前者です。 
 物語が、命を与えてくれと叫んでいます。私は物語に動かされている。
 そのために技術を磨いていくわけですが、実際のところそれは自然に任せています。
 彼らの「こうして欲しい」という声に従って言葉を決めています。

 反対に、後者の人というのは芸術家なんだと思います。
 他者の感性を刺激する様々な文字、文章。
 その不思議な迷宮の奥に物語が宝石のように隠されていて、作品を完成させる最後のピースとなる。
 自分の理想を目指し、日々試行錯誤して技術を磨き続けているのだと思います。

 …これってもしかして全然驚くべきことじゃなかったり?
 今頃気付いたの?って感じです?(涙目
 でもですよ、改めてそう考えると、世界の輝きが二倍になりませんか?
 世界中の作家が、二つのアプローチで感動を生み出そうとしているんです。
 もちろん、完全にどっち寄りというわけではないでしょう。私だって文章で遊ぶこと自体も好きですし。
 それでも、自分とは異なるルートで山頂を目指している人がいる…と考えると、頂上で出会ったときにどんな想像もつかない物を見せられるのかと楽しみになります。
 こっちも相手に驚いてもらえるような物を手に入れたいと情熱が湧きあがります。
 そしていつか登頂を果たせる日が来たら…その融合がまだ見ぬ最高の何かを生み出すかもしれません。

 文学史とは物語と技術のどちらから歩みを始めたのでしょう?
 卵が先でも鶏が先でも、起こりはもう過去のこと。
 始まったことに感謝をしながら、皆で共に『奇跡の一篇』を目指して歩めたらいいなぁと思います。

 今度生まれてくる時は鳥になりたい。
 いつか空を飛べる日が来るなら、鶏でも。


                    フライドチキンを貴方に…仙花
 

更新日:2010-06-16 23:35:52

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